阿寺断層と水神様 |
断層がダムになってできた湿地と水神様
下呂町三ツ石に行くと、阿寺断層(湯ヶ峰断層)の崖を見学できます。ここでは、電力中央研究所により、1990年にトレンチ(掘削)調査が行われました。そして、断層の最新活動は、1,000年以内であることがわかりました。他のトレンチ調査も総合すると、阿寺断層の活動間隔は約2,000年、最新の活動は約400年前となります。次の活動は、1,000年以上後となるので、この断層に関してはしばらく安心です。(岐阜県には数多くの断層があり、周期不明の断層も多いので油断はできません。) これらのことは、断層露頭の腐植土等の年代測定からわかります。腐植土の地層が断層を境にくい違っていれば、その年代以降に断層が動いたといえるからです。 以上は、下呂町にある言い伝え、つまり戦国時代1,586年、天正の大地震のとき阿寺断層上にあった大威徳寺の伽藍が壊れたという記録と一致します。 三ツ石の断層崖は、一見、高さ2m程度の土手のようですが、地図で確認して山を見渡すと、延長線上にケルンコル(断層凹地)を発見できます。また、この断層崖付近には水神様の石碑が2つありました。1つは最近にできたものですが、湿地の中にある水神様は古いようです。石碑をよく見ると「琵祭天宮 大正十三年」の文字がわかりました。 この湿地の成因は、付近が扇状地の末端であることから次のように考えられます。扇状地に浸透した水はしばしば末端で湧水になります。そこを、断層崖がダムのように堰き止めたので湿地が形成されました。(中田 裕一) |