跡津川断層による安政飛越地震の石碑 |
大正十二年建立の地震追討碑(河合村元田)
この石碑は、河合村元田小学校跡地にあって、そこには、安政五年(1858年)に起きた飛越地震のとき、この地であった想像を絶する悲惨な出来事が記されています。 その内容に、向山の一角が欠け飛んで荒町の五戸と立石の四戸、元田の二つの村の53人が、その家とともに地中深く埋められたとあります。 石碑に近い所に元田商店(ガソリンスタンドと雑貨)があります。その主人の元田与喜三さん(1997年没)に聞くと、向山の岩石は、学校の跡地やもっと遠い元田鉱山(現村営グランド)の所まで飛んだのだと熱心に話されました。 河合村村誌の編集者のひとりで、河合村史に精通されている永田忠臣氏の話によると、唯一助かった女「おな」は、河合村天生(あもう)へ子守に行っていたため難を逃れました。「おな」は、その後、河合村保に嫁いだそうです。(舩坂 忠夫) |