飛騨を覆った火山噴出物 |
飛騨テフラの露頭(国府町三川)
飛騨には、昔から「かま土」と呼ばれてきた赤土があります。竈を作るのに用いた粘土質の土をこう呼び慣わしていました。このかま土の一部がかっての火山噴出物(軽石や火山灰など)であることを最初に指摘したのは、当研究会の前会長石原哲弥先生でした。昭和40年代の初め石原先生は、日枝中学の科学クラブの生徒たちと共にこの研究に取りくんだのです。 その後、この研究は下畑や吉城高校地学部に引き継がれました。これらの降下性火山噴出物(テフラという)は、古川町黒内・国府町三川・高山市江名子や山口そして上野平(一部丹生川村)・神岡町山之村などの飛騨各地の比較的平坦な地形の所に分布しています。そして広殿軽石層(安山岩質)・高山軽石層(流紋岩質)という2種類のテフラがあり、その分布の仕方にも違いがあることなどがわかりました。また、高山軽石層の上位には古土壌と考えられる町方層があります。この最上部から表土層の中から噴出源や年代が特定され、日本の広い地域に分布する広域テフラの大山倉吉軽石層(略称DKP、4.4万年前)・姶良火山灰層(略称AT、2.2万年前)なども発見されました。 なお、広殿軽石層の噴出源としては、今の白山火山よりずっと以前(30〜40万年前)に活動した加賀室火山を考えたが、高山軽石層についてははっきりしませんでした。 この後、飛騨テフラの研究、とりわけ噴出源探しについては岩田修氏(当研究会副会長)によって継続されました。この話は、別項ですることにします。 (下畑五夫) |