ひだ地学60号 1999年2月19日発行   ホーム 目次

平湯温泉で温泉を語る

下畑 五夫

 江戸時代の地誌「飛州志」に温泉についての記述があります。中でも平湯温泉・蒲田温泉・大洞温泉(湯屋温泉)については、江戸時代の前半(金森藩の時代)に書かれたいわゆる「温泉記」が掲載されています。著者は、金森家の家臣で儒医でもあった守株子(角田亨庵)です。全文が漢文であり、読み下すのには大層苦労しましたが当時の人々の温泉認識の一端がうかがうことができ興味深かく思いました。
 これらの温泉記の実物を見たいと思い蒲田や平湯へ出かけました。蒲田記は、たまたま温泉旅館をやっている教え子が、隣の旅館に所蔵していると教えてくれたのです。そこのおじいさんに昔の話を聞いたり実物を見せてもらうことができました。
 平湯記は、最初実物があるかどうか不明でした。教育委員会やいわゆる郷土史家の方に聞いても「無いのではないか」という話でした。いろんな経緯があって、とにかく存在することがわかりました。そこは、昔から平湯地区の名主を勤められてきた小林さん(通称ゆもさ)というお宅でした。実物を見せてもらいました。「飛州志」に掲載されていない部分がたくさんあり、とりあえず写真に撮らせてもらい後で読みました。
 そこには、江戸時代の後半、火事で金森時代に書かれた温泉記は焼失。それを残念に思った赤田臥牛、田中大秀、東斎円山らが写本を頼りに復元をしたということが書かれてありました(下図)。また、この巻物は大切な家宝であるから、読むときは手を洗うこととか広げる時や巻く時にはゆったりとというような注意書きも添えてありました。もっとも、この注意書きを読んだのは、すでに巻物を見終わり、写真を現像してからでした。

図 温泉記

 これらの古文書を読む作業は、地学とはやや離れるかもしれませんが、温泉と人々の関わりを考える上で必要なことです。また、過去の温泉の様子もわかり興味深く思いました。
 下呂温泉については、室町時代の詩僧「万里集九」の著した「梅花無尽蔵」の中に出てきます。拙著「新ひだ風土記」を書いた頃は、直接その原典に触れることはできませんでしたが、昨年ようやく県立図書館で探しあて読むことができました。このあたりの話は、現在温泉の話として書いているところです。
 いずれにしろ飛騨人も古くから温泉と関わってきたことがわかります。そして、その基本は、温泉利用はあくまで病気治療が主目的でした。昔の温泉(湯治場)は、病院という感覚であったと思われます。