ひだ地学60号 1999年2月19日発行   ホーム 目次

竜馬石について

岩田 修

 平成10年11月3日、ひさしぶりの飛騨地学巡検にでかけた所が、清見村麦島付近の竜馬石でした。宿泊研修では、スライドを使用して説明をおこないました。
 この周辺は、位山分水嶺付近にあたり、なだらかな高原状地形を利用して県営の飛騨共同模範牧場となっています。この地形は、竜ケ峰火山岩が噴出して形成された溶岩台地であるといわれています(三日町図幅・萩原図幅)。海抜1100〜1200mほどで、解析の進んだ現在は火口の所在は確認されていません。竜ケ峰火山岩は、小規模な分布域であるので、隣接する烏帽子火山の噴出物の一部として分布していたものが、その後の侵食により分離したという可能性もあります(三日町図幅)。いずれも、しそ輝石普通輝石安山岩を主とします。烏帽子岳火山岩は約100万年前に生成しています。
 竜馬石は清見村の天然記念物に指定されています。古くから表面の模様が鱗のように見えることから人の目についたようです。かつては飛騨と郡上を結ぶ街道横に位置していたことから伝説も生まれました。「龍の駒の足跡あり」ということから竜ケ峰という字名が付いたと聞きました。この模様は、ペトログラフ愛好家によると6000年前の縄文人が彫ったものだといいます。そんな竜馬石を会員と共に見学してその成因を探ってみようと思いました。
 現地へは、何回か足を運び、実測図を作成しました(次ページの図)。実物はいびつな形をしていて平面で表現しにくく、また写真を組み合わせて作図したので、少し正確さに欠ける面がありますが、全体像はつかめるでしょう。この図でも分かるように、主となる割れ目が生じたあとにそれと直交か高角度で(または120°か60°に近い角度がある)二次的な割れ目ができています。ブロックができると、同心円状に内部に二重の割れ目(たまねぎ状風化がそれに相当する)ができています。これが馬の蹄や轡にみえたのでしょう。また、上面やそれに近い所に風化模様が多いことから、この岩塊が地表に表れて後に、模様が形成されたことを物語っています。かなり粗粒鉱物から成る安山岩なので、温度変化による、物理的機械的な割れ目形成が主な要因でしょう。このような割れ目は(竜馬石ほど見事ではないが)周辺の安山岩の表面で観察されています。
 ペトログラフとは、先史時代から岩石に(人工的に)刻まれた文字や文様をいいます。ぺトログラフ愛好者の本や調査書を見ると、荒唐無稽でとても学問といえず、研究者としての基本的な姿勢を感じることができません。しかし、ロマンと称して一般には(信じられていなくとも)根深く流布しています。このような現象に対して、地質学者は無視して

図 竜馬石の実測図

取り扱おうとしません。さわらぬ神にたたりなし、でしょう。風化現象もあまりよく分かっていないようであり、これも学問の主流とならないものでしょう。市井の我々は、庶民の目線で地学現象をみて、それにも関心を持ち、よく分かるように説明できるようにすることに喜びを感じることを大切にしていきたいと思います。説明できないことにも、安易な結論をだして思考をストップさせないで、追求する姿勢ももっていきたいものです。
 ノストラダムスの予言など、分かっている者にとって話題として面白がっているならともかく、本気に信じている人が多いとなると話は深刻になります。話題にすることもおかしいことなのに。岐阜発の口裂け女の流布も大きな教訓です。
 そんな意味を込めて、竜馬石の成因をはっきりさせる(これは素人にも分かりやすく説明できる、説得力をもつこと。具体的に、実物を通して、できるだけ専門用語を使わないようにして)ことにこだわっていきたいと考えています。