ひだ地学第128号 2005年7月13日発行   ホーム 目次

御母衣断層系と飛騨加須良・越中桂

巡検日:2005年6月25日

桂湖(正面の鞍部を加須良断層が通る) 
 6月25日に本年度第2回目の巡検を行いました。メンバーは、鷲見、小坂、中田の3人でした。中部縦貫自動車道清見インター出口、夏厩が集合地でした。まず鷲見会員の案内で夏厩断層の低断層崖と思われる地形を確認しました。その後、鷲見会員は学校で保護者の作業があるとのことで分かれました。しかし、2人残ったので巡検は続行することにしました。天気も快晴です。
 予定どおり、白川村の加須良断層に行くことにしました。途中、三尾河断層の滝の跡を確認しました。小坂先生によるとマトバ橋下庄川の淵は滝坪の跡だそうです。つまり、庄川は断層の動きに伴って、河床の低い三谷川と接し滝となって流れ落ちていたが、いつの日か滝が崩れ、滝は背後の魚返し滝まで後退しました。しかし、滝壺だけは残ったのです。庄川は河川争奪されたと推測されます。その証拠に元庄川の流れていた川の無い谷が南東に続いています。また、淵のすぐ下流には、まん丸の石がいくつも転がっています。これは淵の中で転がりながら丸くなった石が、洪水のとき飛び出たものだといいます。おもしろい内容なので、岐阜新聞連載の「活断層を訪ねて」に寄稿してもらうことにしました。
 その後、小坂先生が、帰りに近所の人に聞いて見ると、マトバ橋というのは、神社の神事のとき的場がもうけられるためだとわかりました。また、この淵は近所の子供の夏の泳ぎ場となっていることもわかりました。
 白川村から富山県に抜け、ます打越集落跡に行きました。ここは、天正大地震のとき椿原の家が飛騨側の尾根を飛び越えていったことに由来する地名です。現在は、廃村となり平らな地形が残っているのみでした。ここからさかのぼると越中桂ですが、今では桂湖というダム湖の下です。このダム湖は、御母衣断層系の加須良断層に沿っています。今は、ダムサイトはボートの練習場です。喫茶店もありかなり整備されていました。ダム湖に沿って西に進みダムを回って峠を南下すると飛騨加須良です。加須良は草深くとても人が住んでいたとは思えないような場所でした。ちょうど昼となったので、ここの河原で昼食を取りました。付近を調べると、お寺の跡や家屋の跡がありやはり人が住んでいたことがわかりました。その後帰路につきました。人数は2人でしたが、まず行く機会のない加須良に行くことができました。