吉城郡国府町・高山市  ホーム 目次

飛騨の56豪雪

 
56豪雪の雪に埋もれた道(国府町広瀬町1980 12月30日ころ)
 昭和55(1980)年の年末から昭和56(1981)年2月にかけて、北陸・飛騨地方は「56豪雪」の名で残る記録的な大雪に見まわれました。高山測候所の最深積雪量は、1月8日の128cmでした。同日、白川村では420cmもの積雪でした。
 飛騨地方では、高山測候所開設(明治32年)以来の豪雪で、幹線道路の途絶、列車の不通、家屋破損などの被害が相次ぎました。1月4日には、荘川中学校体育館の屋根が雪の重みで倒壊し、当時の白川村、河合村、宮川村、神岡町など県境の集落は交通の手段がなく孤立地域となりました。
 豪雪になった理由は、強烈な寒気に伴って日本海に発生した帯状雲の先端が日本列島・北陸から飛騨に達したことによります。気象衛星画像で見る帯状雲は、寒気吹き出しに伴う筋状雲よりひときわ太い1本の雲です。筋状雲は、季節風に平行に筋状に見える多数の雲列で、寒気が海に出ると日本海の水蒸気の補給を受けて必ず発生します。帯状雲は筋状雲とほぼ平行に現れます。これらがいわゆる雪雲です。
 帯状雲は大陸の付け根の地峡がきっかけで発生するといわれ、56豪雪年以外でもしばしば発生します。しかし、通常は帯状雲の北側が南側より低温(約3,000m上空)ですが、56豪雪時は南側のほうが低温でした。
 帯状雲の中には小さな渦が並び、次々と季節風の下流の日本列島に達することもわかっています。帯状雲はちょうど小さな前線のようで、大陸の地形、上空寒気の分布、日本海の海水温等の影響を受けて強化されるようです。(中田 裕一)