続下呂温泉 |
湯ヶ峰火山と阿寺断層
下呂温泉街と湯ヶ峰。写真は昭和初期のもので現在より、
湯ヶ峰の崩壊斜面がかなり大きい(下呂町教育委員会提供)。
江戸時代の中頃、飛騨国第七代の代官長谷川忠崇によって書かれた『飛州志』という書物があります。その中に、下呂温泉として次のような記述があります。「天暦年中(九四七〜九五七年頃)に湯峯すなわち湯ヶ峰(下呂温泉街の東方に大きな崖をのある山)の山中に温泉が湧いていたが、文永2(1265)年に突然湯ヶ峰の湧出が止まり、その後、益田川の河原に新しく湧きだした」と書かれています。かつて、湯ケ峰にはその名の通り、湯が湧いていたというのです。 また、『飛州下呂温泉略縁起』には、 「天暦年中の頃湯ヶ峰一夜震動し、今の河岸の湯本に五色の雲たなびきて、一夜の間に温泉湧出けると・・・・」とあり、地震が起き、湯脈が変わったと述べています。両書の年代の記述には食い違いが見られますが、地震で湯脈が変わったと述べています。 地質学上も温泉は、断層や地震と深い関係があるといわれています。大断層は、幅の広い破砕帯を伴うことが多く、ここが温泉水など地下水の通り道となります。この温泉の通り道が、地震などが原因で湯ヶ峰断層の約一`南西側の下呂断層に移ったのではないでょうか。これらの二つの断層は、いずれも阿寺断層の仲間です。 一方、マグマもしばしば地殻の弱線である断層を通ります。湯ヶ峰断層の弱線そってマグマが上昇・噴出し湯ヶ峰火山となったのでしょう。年代測定によるとそれは約十万年前のできごとといいます。私たちの感覚からら言えば、十万年はずいぶんと昔ようですが、地質学的には相当に新しい時代です。下呂温泉の熱源は、湯ヶ峰火山と考えられています。下呂温泉は、地震(断層)と火山からの贈り物なのです。(下畑 五夫) |