益田郡下呂町  ホーム 目次

下呂温泉

古くから愛された名湯


益田川の川原に立つ源泉塔。その向こうは下呂温泉街と下呂大橋
 

 下呂温泉は、天下の三名泉として 有名です。江戸時代の儒学者林羅山が『紀行 有馬山の温湯』の中で、次のように述べています。
「我が国諸州には、多くの温泉があるが、その最も著しいのは、摂津(兵庫県東部・大阪府西部)の有馬、下野(上州の誤記?)の草津、飛騨の湯之島(下呂温泉)の三処である。」
 しかし、林羅山が下呂温泉に浸かったかどうかははっきりしません。ただ、この三名泉のいわれの原典とおぼしき書物『梅花無尽蔵』があります。この本は、林羅山よりもっと古い室町時代の五山の詩僧万里集九という人によって書かれました。万里集九は、延徳3年(1491年)下呂温泉を訪れたといいます。そして、この著書の中で次のように述べています。「温泉の濫觴は延喜の初め(10世紀初め)である」続けて「温泉聯句序」と題して温泉にまつわる話が書かれ、その中に「本邦60余州、毎州霊湯がある。その内最も優れているのは、下野(上州の誤記か)の草津、津陽の有馬、飛州の湯之島三処である・・」とあります。これが、文献上最も古い記録です。そして、林羅山がこれを引用したことは両方の文章を比較すれば明らかでしょう。
 また、江戸時代の中頃、飛騨国第七代の代官長谷川忠崇によって著された『飛州志』には、下呂温泉として「国説にいわく天暦年中この地の山中に初めて温泉湧出せり。地名を湯峯という」とあり、下呂温泉の濫觴を西暦およそ950年頃と伝えています。いずれにしても、下呂温泉(古くは湯之島といった)は、1000年以上も昔から多くの人々に愛されてきた名湯であることがわかります。(下畑 五夫)