飛騨の9.15豪雨災害 |
豪雨災害の復旧工事(旧河合村稲越川) |
平成11年(1999)、9月15日、北陸沖に停滞前線があるさなか、台風16号が岐阜県を横断しました。県下、特に飛騨や奥美濃では集中豪雨に見舞われ、死者7名、行方不明1人、被害総額700億円を越す大災害となりました。この後の長雨を含めて、これを9.15豪雨災害といいます。 飛騨の中でも河合村は、時間雨量30mm以上が5時間も続き、降り始めから同日午後5時まで、累積298mmの降雨となりました。 河合村上流の下小鳥ダムでは、貯水量が限界に達し放水を行いました。小鳥川流域、稲越川流域は、土石流や山崩れで災害の中心地となりました。 河合村で、土石流災害のもっとも大きかったのは、上稲越地区で、川に沿う水田や畑はほとんど全滅状態でした。稲越川やその支流では、各所で護岸の崩壊が起きました。山肌の崩壊はそれほど目立たちませんでしたが、大量の流木が出たことから山林の被害も大きく、倒木で足の踏み場ないほどでした。 富山湾まで流れた流木の大半は、スギなどの針葉樹でした。林道もずたずたで、河合村の被害総額は、村の10年分の予算に相当するといいます。当時、飛騨北部の重要な峠道、数河峠、神原峠、十三墓峠のいずれも道路崩壊やその恐れのため交通止めになりました。 飛騨北部で、降水量が多くなった理由は、岐阜県付近の降水量と風の分布図を書いてみてわかりました。飛騨北部は、弱風域でしたが、その周辺は左回りに風が吹いていました。左回りの渦は低気圧性の渦です。 9月15日午後1時ころ、台風の中心は郡上八幡付近とされます。しかし、陸上では、台風の渦が複数になることがあり、ちょうどこの頃、最も大きな渦が飛騨北部中心に位置しました。この渦が秋雨前線と相まって強力な積乱雲を発達させたと考えます。(中田 裕一) |