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朝霧の郷

いわゆる『低い霧』。濃い霧で、視程が200
m程度であった。高山市中切にて
 

 「今朝はえらい霧ごんどるでええ天気になるぞー」秋の朝などに、祖母がしばしば口にしていました。その言葉通り10時頃、遅いときは昼近くになることもありましたが、ほぼ確実に秋の陽の光が盆地に溢れるようになったものです。
 朝霧は、晴天の印であることは飛騨の人々の自然な感覚です。そして、夏から初冬にかけては、朝から晴天ということが大層少ないことも高山・古川盆地の飛騨人の常識です。ちなみに、理科年表によると、高山市における年間霧日数は55日(1961〜1990年の平均)と日本でも霧の多い地域となっています。
 この朝霧について、かつて吉城高校地学部と研究に取り組みました。研究フイールドは、高山盆の北に位置する標高およそ500mの古川盆地でした。盆地の底の観測の他、吉城高校の裏山である安峰山へ登りながら霧の垂直方向の観測も行いました。1000mを越すと大抵霧の上に出ます。そこには、盆地の底にいては想像することができないような素晴らしい光景が拡がっています。山国飛騨に出現する霧の海です。
 この盆地の底を埋めるように発生するのを『低い霧』、一方、中蓋をするよう発生するのを『高い霧』と呼ぶことにしました。霧の下限が前者は地表、後者は地表から150m(概略)くらいの高さです。盆地の底から見ると、高い霧は周囲の山の山腹から上の部分を覆い隠していることになります。この高い霧の日数も加えると年間90日余の朝霧が発生しています。(下畑 五夫)