飛騨で最も寒い里・六厩 |
荘川村六厩の冬の風景
江戸時代初期、金山として栄えた荘川村六厩(むまや)は、岐阜県のアメダス観測所で最も低い日最低気温を記録しています。それは、昭和56(1981)年の2月28日の−25.4度Cです。ちょうど56豪雪の寒波の年でした。 月別の最低気温の分布図を見ても、飛騨西部の六厩付近、それに続いて飛騨東部の宮之前付近は、1年を通して低温の地域です。どちらも、北海道の内陸部に相当する気温環境です。1月の最低気温の平均は、六厩が−10度C以下、宮之前が−9度C程度です。 六厩で年間を通し気温が低くなる理由は、標高約1,015mという高度、小さいけれども盆地状の地形、そしてここが内陸山地に位置することです。つまり六厩は、標高が高くて低温であるうえ、海の影響の小さい内陸なので夜間の放射冷却が大きいからです。放射冷却とは、夜間、大地から大気に熱が放射されることです。その効果は、雲が少なく晴天であるほど大きくなります。さらに盆地には、放射冷却した山地斜面に接した冷気が堆積します。冷気は重くなるからです。 また六厩のような内陸多雪域では、冬季の低温が著しいといわれます。積雪が放射冷却の効果を大きくするからです。乾いた雪が降った後(大地が乾いた状態のとき)、大地の熱容量(熱の貯めやすさ)と熱伝導率(熱の伝わりやすさ)は小さくなります。放射冷却のとき、熱容量が小さければ大地はどんどん冷え、熱伝導率が小さければ大地内部からの地熱があまり地表面に伝わってきません。日本が寒波に覆われ、六厩で放射冷却が起これば記録的な低温になるわけです。(中田 裕一) |