跡津川断層16 液状化で砂や泥噴出 |
飛騨市宮川町の宮ノ前遺跡の発掘調査は、一九八九(平成元)年から一九九五(平成七)年にかけて断続的に行われた。調査の中で数千年前の地層から、跡津川断層の活動による液状化現象の跡が見つかった。液状化現象とは、地震の振動のため、砂や泥の堆積物が液体のように地上へ噴出す現象である。 発掘当初は縄文中期から後期にかけての遺物が中心であったが、掘り進めるに従い、前期・早期・草創期、ついには旧石器時代の遺物が現われ始めた。次々と年代の古い遺物が現れるのだから、まるで考古学のテキストのページをめくっているかのような調査であった。 調査を担当した私たちの驚きと興奮はそれだけでは終わらなかった。遺跡の下層が豊富な地下水に浸されていたため、植物や昆虫の残滓(ざんし)が腐ることなく地下から現れ始めたからである。つい先ほどまで動いていたかのようなクワガタムシの頭や、グリーンもあざやかなコガネムシの羽、各種の木の実類、枝・幹の残片などは、旧石器人や縄文人が活動した頃の古環境を復元する上での貴重な「証言者」となった。 各時代の遺物が含まれた層の重なりは、まるでサンドイッチのように行儀よく積み重なっていた。それをかき乱すかのような砂利や砂、粘土のかたまりが遺跡のあちこちでで観察できたが、実はこれこそ遺跡のすぐ近くを走る跡津川断層の活動によって生じた液状化現象の痕跡であった。 液状化現象によって下層から上層に向かって噴出した砂のブロックを噴砂と呼ぶが、地震の規模が大きかったせいで、砂どころか、大粒の砂利まで噴き上がっている状態が観察できた。また遺跡からは断層の活動によって生じたくぼ地も現れた。縄文時代当時、そのくぼ地は湧き水に恵まれた湿地であった。 縄文人は湿地に川原石を敷き詰め、食物調理や木材・繊維の加工、石器製作の場として利用していたようである。地震や水害など、時に大自然の脅威にさらされながらも、したたかに日々を過ごした先人たちの知恵には敬服せざるを得ない。 (林 直樹)2005年4月9日 |