養老断層(上) 沈降で濃尾平野形成 |
濃尾平野は、西部や北西部にそびえたつ養老山系や揖斐山系で終焉(しゅうえん)となる。これらの山を平野から見ると、その斜面は急傾斜であり、平らな地形にいきなり突出した様相を呈する。 ランドサット衛星画像(写真参照)をみると、養老山系や揖斐山系は直線的に平野部と接することが明瞭である。また山地の東側が急傾斜で、西側は緩傾斜であることも読み取れる。 このような地形の特色は、濃尾傾動地塊運動に起因している。これは、新生代新第三紀中新生末期〜鮮新生頃(五百万年くらい前)から始まった運動で、百万年くらい前から活発になった。確実度Tの「養老断層」などを境に、東側が沈降して濃尾平野、西側が隆起して養老山系や揖斐山系になった。確実度Tとは、活断層であることが確実なものをいう。 養老断層は、遥か南方の伊勢湾まで続いており、「養老−伊勢湾断層」ともよばれる。また、養老断層の延長には他に類似した方向を持つ活断層が分布し、垂井町宮代、関ヶ原、醍醐(だいご)、鍛冶屋、中山、若狭湾にまで至る柳ヶ瀬断層とつながっている。 そのため、これら北北西〜南南東方向に連続する活断層群をまとめて「柳ヶ瀬−養老断層系」と総称することもあり、三重県四日市市まで含めると、各断層の総延長は南北約百四十`に及ぶ。 伊勢湾北部の水準点測量によると年一〜三_の沈降が観測される。つまり濃尾傾動地塊運動は、現在も継続し時には地震を伴う断層活動をもたらしてきた。濃尾平野は、この運動により平野の西側に傾いて沈降し、東部の丘陵地はむしろ隆起した。砂礫や粘土などの堆積物は、平野の西部ほど深く厚く、最大二千bをこえる。 堆積物は、主に平野西部に集まる木曽三川により運ばれた。水害に備えた輪中集落が平野の西部に発達し、濃尾平野が軟弱地盤であるゆえんもこの運動にある。 (杉山政広・県高校地学教育研究会会員)2005年4月16日 |