跡津川断層10 大規模活動示す露頭 |
跡津川断層東端は富山県立山であり、ここで断層は消滅するが、端にも関わらずなかなか活動的な様相を示す。約二二万年前から始まる立山火山の噴火以前から、跡津川断層は活動してきた。立山火山形成に断層が何らかの役割を果したことは十分考えられる。 また、立山に見られる大きなカルデラ地形(陥没地形)は、阿蘇山のような火山活動でなく、大規模な山体崩壊による。この崩壊は、跡津川断層の活動が大きな原因となっていると考えられる。 一八五八(安政五)年の飛騨地震は飛越地震ともいう。名前のように飛騨だけでなく越中(富山)にも甚大な被害をもたらした。立山カルデラの内では大鳶(おおとんび)・小鳶山などが崩壊し、常願寺川の上流がせき止められた。その後、ダム状態になっていたところへ、雪溶け水とともに崩壊土砂が決壊し、土石流が一気に下流域へ流れ込んだ。その結果、潰家屋一六一三戸、溺死一四〇名の被害が出た。このことは、たとえ断層の端とはいえ、立山地域での断層活動が大きかったことを物語っている。 実際、立山に近い富山県大山町の真川の右岸の道路横に、大きな断層露頭(国天然記念物)が見られる。断層露頭とは、地下の断層が地表にむき出しになった所をいう。写真の右側(茶色、南東側)は、石ころがたくさん挟まった段丘れき層で、かつての湖に堆積した。左側(白色、北西側)は、岩盤をつくる花崗岩(元は地下深部でマグマが冷えてできた)である。花崗岩の側が断層運動により相対的に上昇した。この露頭では、断層が活動した時期は分かっていないが、近くでは、安政の飛越地震で動いた可能性が見られた。 富山県真川の上流、折立峠を越えると有峰(ありみね)湖に至る。有峰湖は人造ダムで、跡津川断層沿いにできたくぼ地だった所である。現在は観光地になっているが、湖底に沈んだ有礼(うれ)の村を思う時、一抹の寂寥(せきりょう)感を覚える。有峰湖を更に南西へ自動車道を進むと、大多和峠を経て岐阜県跡津川へ入る。 (岩田修・飛騨地学研究会副会長)2005年2月26日 |