ひだ・みの 活断層を訪ねて20  ホーム 目次

跡津川断層11 一ノ瀬の大滝が壊滅


道路脇にある通称「大岩」
=飛騨市宮川町小豆沢
 
 安政の飛騨地震によって、多くの場所の様相が一変した。そのうち飛騨市宮川町について、次の三つの地変を紹介する。
 一つめは、小豆沢(あずきさわ)地区の道端、飛越トンネル出口付近に残る「大岩」である。宮川村誌によると、「大岩」は2qほど谷の上流の山中にあった。地震により、谷川の押し出しに合いここまで転落した。斐太後風土記(明治初期)によると、地震の時、小豆沢村の人家も畑も残らず崩落した。
 二つめは、杉原地区の一ノ瀬の大滝の壊滅である。ここは、宮川の中でもマスがそ上することで有名で「杉原鱒」とよばれた。そこで、滝に仰天網(てんとうあみ)が仕掛けられ、「一ノ瀬の仰天網」として、宮川一の奇観となっていた。
 「一ノ瀬の仰天網」は、斐太後風土記に次の説明がある。「杉原村には、宮川の両岸が狭くなり一ノ瀬に大滝があった。その滝音は、大雪がなだれ落ちるのと変わらず、飛沫霧を吹き飛ばし岸上の人語が聞こえないほどであった。四、五月の頃、この滝へ鱒(マス)が来て淵にむらがり、滝を飛び越そうとして一躍する。そこで一、二尺水より上に、天へ仰向ける網を張って飛び上がる鱒を捕まえる。漁は前後三十日もかけて行われ、数多い日には百余りも捕れる。これを高山や古川へ売り出した。しかし、安政五年の大震は、東西岸上を崩落させ一ノ瀬の大滝を突き埋めてしまった。」
 三つめは、ニコイの池ヶ原湿原の「丸山」で、この小山は飛騨地震のとき一夜でできたため、一夜山(ひとややま)ともいわれる(飛騨の歴史、郷土出版社)。その成因は次の可能性がある。地震の影響で池の水が引いた後にすでにあった小山が現れた。断層の動きが場所によって異なったため歪(ゆがみ)が局所的に集中し小山ができた。新しい断層崖が小山となった。周囲の山の崩落岩塊が小山になった。
 飛騨で大地震の体験がないため、つい飛騨は安全だと思ってしまう。しかし、わずか一五○年ほど前に大地震があった。寺田寅彦の有名な言葉、「天災は忘れた頃にやってくる」を思い出す。
(中田裕一・飛騨地学研究会会員)2005年3月5日