三尾河断層(3) 大地震で山腹が崩壊 |
飛騨春秋(二○○四年四月号)に、坂部和夫さんが江戸時代の歴史資料「白川年代記」を基に天正地震時、高山市荘川町一色(いっしき)付近の山体大崩壊について述べておられる。 坂部さんのこの古文書の解釈は、「一五八六(天正十三)年の天正地震の時、赤崩(あかくずれ)に大規模山体崩壊と土砂移動があり、二十数戸の村落が全滅し数十名の人命を失った」とする。天正地震は、白川郷の帰雲城埋没で知られるように大地震であった。 赤崩は、現在の一色スキー場であり、当時の村落の神社跡と言い伝えられる場所に慰霊碑(一九六五年、昭和四十年建立)と天正地震時の遺物とされる五輪塔が置かれている(写真参照)。 地震の振動で不安定な地盤の山腹が崩れ、ゆるやかな斜面になることはよくあり、このような斜面はスキー場や牧場、あるいはリゾート地に利用される。一色スキー場付近は正にそのような地形で、しかも史料の記述もあるので、天正地震の崩壊地と思い、飛騨地学研究会は、二○○四(平成十六)年五月に巡検を行った。 一色スキー場を私たちが調査した結果、表土の風化(風雨で削られること)が思ったより進み、付近の岩片の角がとれていることがわかった。つまり、天正年間の四、五百年前というような地質的には最近の崩壊物ではないという印象をもった。 天正の大地震の崩壊物なら、岩片は、無秩序に並び風化がまだ進まず新鮮で角がとがっているはずである。この場所は、天正地震より前から、過去に何回も崩れた地形であることは間違いない。しかし課題は、それがいつ生じたかという点である。正確な判断は、堆積物中の木片などを利用した年代測定や詳しい調査が必要である。 その地の歴史の史料や伝承は貴重である。それを裏付け解釈する作業として、地質や地形調査が有効な場合がある。現地の野外調査から得られる事実を積み重ねて史話を検証する。はたして天正地震で赤崩れはあったのか。当時の人は何を見たのだろうか。 (岩田修・飛騨地学研究会副会長)2005年7月16日 |