ひだ・みの 活断層を訪ねて28  ホーム 目次

養老断層(下) 近代砂防技術を導入


今も残る明示初期の砂防堰堤=海津市南濃町羽根谷
 
 養老山麓の扇状地は、洪水時の土石流が堆積したものである。土石流は、急峻な養老山地から平野に出る河川がもたらす。通常は穏やかな扇状地の川も、数年、数十年に一度というような大雨時に氾濫(はんらん)し山麓部を襲い、甚大な被害を与えてきた。
 こうした被害を防ぐため南濃町羽根谷では、一七○五(宝永二)年、幕府の命令により「宝永の大取り払い」という大掛かりな浚渫(しゅんせつ)工事が行われた。一七五四(宝暦四)年になると薩摩藩によるお手伝普請「宝暦治水」の一環として、羽根谷上の砂石留食違石堤、羽根谷落口揖斐川の川浚え、山崎谷砂利除が行われた。その後も数々の治水工事がなされた。
 明治に入って、日本政府から近代土木技術の導入のため招聘(しょうへい)されたオランダ人技師ヨハネス・デ・レーケの指導により、一八八七(明治二十)年から二十五年をかけて「木曽川下流改修」が行われ、木曽三川の完全な切り離しがなされた。この工事の一環として、羽根谷、盤若谷に巨石積み堰堤(えんてい)が建造され、山腹面の崩壊源にはクロマツ等の植栽が行われた。
 この時建設された第一号堰堤(一八八八年、明治二十一年完成)は、幅五十二b、高さ十二bであり、明治初期の砂防堰堤としては全体の規模、石の大きさともに最大である。
 明治期に建設された羽根谷第一号砂防堰堤と下流にある羽根谷砂防堰堤は有形文化財の指定を受けている。現在、砂防ダムが連なる羽根谷は「羽根谷だんだん公園」として整備され、学習施設「さぼう遊学館」がある。ここでは、養老の自然環境と、砂防の歴史や土石流災害などを紹介している。土石流発生のしくみを模型を使って体験学習できる。平常は静かな養老山地やふもとの扇状地も、断層活動による地震や山地が急峻であるために起こる洪水の産物であることがわかる。
(木澤慶和・飛騨地学研究会会員)2005年4月30日