ひだ・みの 活断層を訪ねて41  ホーム 目次

三尾河断層(5) 滝つぼだった丸い淵


かつては滝つぼだった淵=高山市荘川町三尾河
 
 旧荘川村字三尾河(みおご)地区、庄川本流に架かるマトバ橋(国道一五八号)から上流を見下ろすと円形の淵(円淵)が見られる。この淵は、かつては滝つぼだったと考えている。現在、ここに滝は無い。淵は、直径約八b、深さ約四b位で、水清く底まで見える。
 淵に注ぐ庄川は幅二〜三b位と狭く、淵のまわりは両岸とも高さ六〜七bの岩壁である。滝は岩壁と同じくらいの落差であったが、いつしか崩れたようだ。その代わり淵から約百b上流に重箱の滝、更に約百b上流に魚返り滝がある。一方庄川は、淵の下流約五十bで断層破砕帯(砕けた岩石部分)の青い崖の下を流れ、更に約五十bで断層に沿う三谷(さんたに)川と合流する。(図参照)
 マトバ橋の南には川の無い谷がある。考察するに、昔、庄川はこの谷の方に流れていたが、今は流路を変え三谷川と合流している。三尾河(みおご)断層の動きにより三谷川の流路は近づき、二つの河川がくっついたからである。合流当時、庄川は河床が高いので、三谷川との間に滝をつくった。長い時間の中で滝は崩れ、後ろに新しい滝ができる。淵付近は固い岩盤だったので、ここが滝つぼになるだけの時間(数万年くらい?)、滝があったと考え納得している。
 また滝つぼが深くなったのは、滝が無くなってからも、淵に流れて来た巨大な礫(れき)が洪水時の回転で底を削ったからである。礫も角が落ち丸くなった。その証拠に河川改修前は、淵の下流に直径二b前後の巨大な円礫がごろごろしていた。これら円礫は、洪水時の泥水で浮力が大きいとき、淵からあふれたものだろう。
 「マトバ」橋の地名は、氏神様の祭礼の時、弓で矢を射る「的場」をもうけたことに由来する。この淵では、近所の子供達が釣りをしたり、夏には泳いだり、遊び場になって居るとも聞いた。これは、マトバ橋の近所の大田さんの話である。マトバ橋を通ることがあれば、ぜひ橋の下の淵を見ていただきたい。
 (小坂光三・飛騨地学研究会会員)2005年7月30日