三尾河断層(6) 天変地異で水沢上埋没 |
戦国期、一五八六(天正十三)年十一月二十九日夜(旧暦)、歴史に残る天正大地震が発生した。この時、三尾河(みおご)断層南端の水沢上(みぞれ、郡上市明宝)で大地滑りが発生したことは、美濃馬場となる白山中宮長滝寺(郡上市白鳥町)の文書に残されている。水沢上大地滑りと白川郷帰雲山大崩壊について次の伝説がある。 「白川郷の帰雲(かえりぐも)城主内ヶ島氏理(うじまさ)は、白山の麓へ狩りに出かけた。その帰り道、別山に安置された黄金の聖観音菩薩を見て、欲心から盗み出そうとしたが、テコでも動かなかった。あきらめて今の郡上市高鷲町へ下り長者の家に泊まった。 当家のおばばが、腰巻きを被せればいっぺんに軽くなると言うので、その腰巻きを金仏様に被せたところ、不思議なことに、何の苦もなく盗み出せた。そこで、当時金山であった水沢上へ金仏様を運び込み、七日七夜の間フキヤに入れてタタラを踏み続けたが、一向に溶ける気配はなかった。 それどころか、七日七夜目の真夜中に、この世の終わりかと思わんばかりの稲光・雷雨・山鳴り・大雨と、天変地異が起こった。人々は家畜もろとも山津波に呑まれ、四か村に渡って生き地獄と変わった。それは、七日七夜続き、水沢上は滅びて、濁り池と長池の二つの池だけが残った。 これらの池については、帰雲山が二つに割れ、その半分が飛んできて流れをせき止めたため、できたという話も残っている。水沢上と帰雲城は天罰により埋没した」以上が、今の郡上市明宝に伝わる『水沢上が池伝説』である。 池はすでに枯れてしまい原形をとどめていないが、存在については、一九六九(昭和四十四)年の県中部地震(震源地:明宝畑佐)後の調査で明らかになっている。現在、西股川左岸側は畜舎とめいほうスキー場駐車場となり、右岸側の崩壊した山は頭の平らなすり鉢のような地形として残っている。 (筒井保幸)2005年8月6日 |