ひだ・みの 活断層を訪ねて44  ホーム 目次

夏厩断層 川に沿って段差の跡


断層に沿う田の段差、断層は正面の谷へと続く=高山市清見町夏厩
 
 かつて高山市清見町夏厩(なつまや)は、静かな山あいだった。東海北陸自動車道ができて、昔日の面影はうそのようである。
 その自動車道の清見インターを降り、夏厩の集落から小鳥川(おどりがわ)を見下ろした。小鳥川は黄土色のグランドにぶつかると大きく右にそれ、グランドを回り込み北上している。グランドは、消防団の操法訓練や学童野球の練習等に利用される。
 グランドへ行くと、そこは南西からの小さな谷の出口に当たり、対岸にもまっすぐ北東に延びる谷が見えた。この二つの谷は、グランドをはさんでまっすぐにつながり、断層地形を予想させる。
 そこでグランドの対岸に行ってみた。そこは小鳥川と支流の合流地点である。支流にかかる橋の下から上流へ約二十bの岸壁に、縦に六本ほど緑色の粘土層があった。断層によって破壊された岩石が粘土となった層(断層粘土)だ。
 では、この断層はどのように動いたのだろう。グランドやその上にある田は、数万年から数十万年前にできた河岸段丘の上にある。河岸段丘は、川が河床(土砂の堆積地)を下に削った地形で、階段状である。平らな部分を段丘面という。上の田を見て歩くと、段丘面に対岸の谷と一致する方向をもつ段差があった。この田の持ち主の話では、昔からある段差だそうだ。
 この段差が夏厩断層の活動によるものなら、夏厩断層は活断層であり、断層の南東側が隆起(上昇)したといえる。夏厩断層の南側にある牧ヶ洞断層でも南東側が隆起しているので、この付近の大地に働く力は同じような断層を生み出しているようである。
 下のグランドの段丘面にも段差が見つかると、断層がずれた時期は数万年前以降と絞れる。川に近い下の段丘面は上より新しく、それが断層でずれたといえるからである。実際、下のグランドができる前の田には、川に沿う段差があったそうである。今はグランド整地により平にされ、当時の形が残っていないのが残念である。
(鷲見浩・飛騨地学研究会会員)2005年8月20日