宮川断層 破砕帯から岩石流出 |
高山市一之宮町(旧大野郡宮村)には、「座禅石」という昔話がある。(美濃と飛騨のむかし話 岐阜県小中学校長会編より)「ある日、了堂真覚という坊様が石の上で熱心に座禅をしていた。その熱心さに感心した飛騨一ノ宮・水無神社の神様が現れ、願い事をかなえるとおっしゃった。そこで坊様は、座禅に集中したいから川の水音を消してほしいと神様にお願いした。神様は、川にいるアジメドジョウを呼んで礫の間にもぐらせ、水の流れを川底の下にした」 実際、水無神社の前の宮川は、河原が広く水量は少ない。(写真参照)また、この地域の人は、おいしいアジメドジョウを神様の使いとして、捕ったり食べたりしない。 さて、この河原がほとんど水無川であるのは、伝説とは別の理由による。水無神社の前や宮川の源流、宮谷の奥には「宮川断層」があり、この活断層が関係している。 宮川断層は、飛騨一之宮から南西に延び、位山から川上岳へ続く山地の北西斜面を通過し、ツメタ谷から峠を越える。また、付近は、一本の断層というより何本もの断層が平行に並んでいる。 宮川断層の活動によって、宮川の支流の流路は断層にぶつかった所で曲がり、破砕帯が数百bの幅で存在する。断層に沿う沢に入ると破砕帯の様子を観察できる。そこでは、非常に硬く青っぽい色の濃飛流紋岩という岩石がもろく粉々になり、粘土(断層粘土)になっている場所もある。 断層による破砕帯から多くの岩石が流れ出し、下流の宮盆地の東端、水無神社のあたりに堆積したと思われる。岩塊は水はけがよいため、河川は伏流水となって河床にもぐり込んでいる。高山市の上水道の一部もこの伏流水を利用している。 了堂真覚の座禅石は残っている。しかし、「宮川断層」の活動がなければ、座禅石のむかし話もなかったかもしれない。 (中口清浩・飛騨地学研究会会員)2005年5月14日 |