ひだ地学67号 1999年10月12日発行〜68号   ホーム 目次

飛騨山脈南部の地形と地質

下畑 五夫

1 はじめに
「播隆は西方に沈もうとしている太陽に目をやってから、東に視線を延ばしていった。蒲田川の渓谷から湧き昇ってきた霧が視野の右半分をさえぎっていたが、左半分はよく見えた。そこには、笠ヶ岳よりはるかにけわしく、高く、そして威厳に満ちた岳峰が並んでいた。穂高連峰と笠ケ岳の間に介在する蒲田川の渓谷の上に雲海がひろがり、もしその雲の上を歩くことができたならば、そこから岳峰群までは、一刻とはかからない距離に思われた。
 笠ヶ岳の頂上で見た槍ヶ岳は見事であった。槍ヶ岳の穂先に夕陽が当たると穂先全体が柿色に染まって見えた。槍の穂先が燃えだしたようにも見えた。・・・・」
新田次郎の[槍ヶ岳開山」の一節である。笠ヶ岳山頂に初めて立った播隆の見た風景が描かれている。この後、播隆一行は、蒲田川の渓谷から湧き上がってきた霧の中に如来様の御来迎に出会うのである。播隆が再興した笠ヶ岳への道は、現在とは違って上宝村笹島から、笠谷に沿って登るルートであった。
播隆は、笠ヶ岳山頂で見た槍ヶ岳の姿に感動し、苦労の末、文政11年(1823)ついに初登頂に成功する。かって山は信仰の対象であった。高山高校の校庭からは、笠ヶ岳や槍ヶ岳をはじめ飛騨山脈の山並みが一望できる。四季折々の山並みを見る時、新田次郎の「槍ヶ岳開山」の一節をふと思い出すことがある。
 飛騨山脈は、本州中央部にほぼ南北に連なる山岳地帯の北部にある。南は御嶽山から岐阜・長野・富山・新潟県の境に沿って日本海沿岸の親不知付近にまで達する大山脈である。南北の長さが約70q、東西幅が約25qにわたり、標高3,000m級の高峰が立ち並んでいる。ごく大ざっぱに見れば、飛騨山脈は、花こう岩の巨大な褶曲岩体である。そして、ここからわずか30q隔てた富山湾は、深さが1,000mにも達し、比高は5,000mにも及ぶ。このような山脈は、世界でも稀である。
 この山脈は、そのかなりの部分を飛騨の国から眺めることができるため飛騨山脈と名づけられた。ただ、イギリスのW.Gowlandが飛騨山脈はヨーロッパのアルプスに似ているといって日本アルプスと呼んだ。ただし本物のアルプスと飛騨山脈は、規模や地史あるいは風景などその共通点は少ない。その後、木曽・赤石山脈を中央アルプス、南アルプスと呼びはじめ、これらと区別する意味で飛騨山脈を北アルプスというようになった。この頃から西洋への憧れもあってか「アルプス」という俗称が広まり、やがてはあたかも正式名称のように用いる人々が多くなった。
 さて、地形および地質学的にみると、木曽・赤石山脈には、いずれも東側に西傾斜の逆断層があり、この逆断層の動きで山脈が形成されたと考えられている。ところが飛騨山脈には、山脈を隆起させたような大断層は存在しない。また、木曽山脈は主に花こう岩から、赤石山脈は堆積岩からできているのに対し、飛騨山脈は、花こう岩を主としながらも頂部や稜線部に火山岩が分布している。そして、立山・焼岳・乗鞍等の活火山が存在する。これらのことは、飛騨山脈の成因を探る鍵になりそうである。
一方、飛騨山脈は地球物理学の上からも大変興味ある観測データを提供している。その一つは、重力異常である。全国規模で重力を測定すると、飛騨山脈周辺は−80mgalほどの負のブーゲ異常がある。すなわち周囲よりも軽い物質が地下にあることを示している。高くそびえている山脈の荷重のかなりを、地下の軽い物質の浮力で支えていると考えられている。
 また、地震波に関しては、飛騨山脈直下には地震波が飛騨山脈を通ると急に弱くなってしまう異常減衰域や低速異常帯が知られている。これらのことから山脈の下には、マグマだまりよりも密度の小さいもの例えば、水を含んだ砂やロームのようなもの、あるいは多孔質岩体のようなものの存在が考えられるというがまだよくわかっていない。
さらに、飛騨山脈直下には、地震が集中して発生している。震源が5q以下といずれも浅く、群発的であるのが特徴となっている。火山活動の活発さと相まって内陸日本ではもっともテクトニックな活動が活発な地域である。



図1 笠ヶ岳〜樅沢岳〜槍ヶ岳〜穂高連邦の鳥かん図
(国土地理院数値地図50mメッシュおよびカシミール使用)

2 地形について
(1)飛騨山脈の地形の特徴
飛騨山脈は、3,000mを越す高い峰々をいだく山稜が幾重にも重なる。また、河川の侵食作用わけても下刻作用が著しく、急峻な谷が幾筋も刻み込まれている。全体的には、幼年期後期から壮年期の地形を示している。
 これらの地形的特徴には、次の三つの現象が大きな影響を与えている。@新生代第四紀に急激に隆起をしたということ A 隆起地域の背骨に当たる部分に火山活動が生じたことB 最終氷河期(新生代第四紀更新世末)の時に山岳氷河が形成されたことである。その結果として、侵食地形、火山地形および氷河地形が随所にみられる。

(2)飛騨山脈南部の地形について
飛騨山脈の南部には、岐阜・長野県境に沿って槍・穂高連峰が鋭い峰々を連ねている。そして、この西側には蒲田川を挟んで樅沢岳ー笠ヶ岳の稜線が、東側には梓川を挟んで霞沢岳ー常念岳の稜線がそれぞれほぼ北東〜南西方向に走っている。槍・穂高連峰には、槍ヶ岳(3,180m)、大喰岳(3,101m)、中岳(3,084m)、南岳(3,032m)、北穂高岳(3,106m)、涸沢岳(3,103m)、そして、飛騨山脈最高峰の奥穂高岳(3,190m)など3,000mを越す高い峰々が連なっている。
 槍ヶ岳からは、西鎌尾根、北鎌尾根、東鎌尾根、槍・穂高稜線のやせ尾根が東西南北の方向にのびている。この間に、飛騨沢、千丈沢、天上沢、槍沢がある。これらの谷は、いずれもかって氷河の侵食を受け、頂上部の周囲は四方から削り取られ鋭い尖峰(ホルン)が残された。穂高連峰も山岳氷河による侵食(氷食作用という)を受けたり、柱状節理が発達しているためもあって崩落を繰り返した。そのためこの山稜は、鋸の歯のように鋭いものになっていることが多い。また、氷食作用のため例えば屏風岩のような規模の大きい大岩壁が存在する。その屏風岩は、岩壁の高さがおよそ600mに達する。
また、樅沢岳(2,755m)・双六岳(2,860m)付近は、船津型花こう岩からなり、なだらかな地形になる。このように地質の違いが反映されている地形を組織地形という。山稜部の地形に組織地形がよくでている。また、抜戸岳(2,812m)から笠ヶ岳(2,897m)の、標高2,700m前後の等高性を示す稜線には平坦面が残されている。同じような平坦面は、常念岳から霞沢岳に至る尾根上にも残されている。これらはかっての準平原の名残という説もある。
                        

     

図2 飛騨山脈南部の埋谷面図とカール・U字谷の分布
(埋谷幅500m・コンター100m間隔)原山智(平成2年)に加筆

(3)隆起運動の時期
山脈が隆起すれば、それに伴って侵食が盛んになり、ひいては山麓に多量の砂礫を供給する。飛騨山脈の東麓(松本盆地)の地積物の性質と堆積時期から、次のように推定されている。隆起侵食は、新生代新第三紀中新世には、すでに始まっていた。その後、鮮新世〜更新世初期には隆起運動が盛んになり、特に更新世末期頃からは、かなり急激になったと考えられている。山脈北西側の富山平野での調査などを総合すると、急激な隆起は、更新世後期末から更新世中期初頭(70ー60万年前)にかけて開始されたと推定されている。

(4)氷河地形について
 日本では、飛騨・木曽・赤石山脈、及び日高山脈に氷河地形がみられる。なかでも飛騨山脈には、この地形が多く残されている。
 氷河時代には、飛騨山脈の高い部分(およそ2,600m以上)が雪線より上になり谷氷河が形成された。氷河は、侵食作用が強く谷氷河の最上流部に、一方に開いた凹地(お椀を半分にしたような)すなわちカール(圏谷)をつくる。薬師岳、黒部五郎岳、三俣蓮華岳、双六岳、槍・穂高連峰、水晶岳、野口五郎岳などには比較的新鮮なカールが残されている。
カールから流れ出た氷河は、谷の断面がU字型をした氷食地形いわゆるU字谷をつくる。これら谷氷河地形は、過去の地形を復元するために現在みられる小さい谷を埋めた地形図(埋谷面図という。図2)を作成してみるとはっきりと現れてくる。
なお、氷河は侵食作用だけでなく運搬・堆積作用ももっている。氷河の末端や下流域には、淘汰の悪い角れきが細長い堤防状に堆積する。これをモレーンという。また氷河下流域にはアウトウオッシュ堆積物が形成される。これら周氷河堆積物が、高さ1,900〜2,500mの例えば、三俣蓮華から双六岳周辺、笠ガ岳ー樅沢の稜線付近の鏡平・秩父平・杓子平・播隆平、あるいは槍・穂高連峰の飛騨沢、槍沢、涸沢、岳沢などに分布している。また、カール底には、しばしば池が存在する。天狗池、北穂池、奥又白池、播隆平の池などがその例である。現在も進行中の周氷河現象としては、双六岳、樅沢岳の稜線部に構造土が見られる。その模様により、多角形土(亀甲礫)、円形土(環状砂礫)、網状土、階段状土などと呼んでいる。樅沢の東方稜線には、環状砂礫がみられる。
 飛騨山脈に残されている氷河期の痕跡は、新旧二回あるという。ほとんどは、新鮮な地形で最終氷期(ウルム氷期)後半、およそ3万年〜1万年前の間のものである。しかし、中には、蝶ケ岳の東面の標高1,900mとかなり低いところにもカールが残されている。これは、ウルム氷期以前のリス氷期のものと思われる。

 図3 飛騨山脈南部の地質概略図

3 地質について
(1)日本でも最古参:飛騨山脈の基盤岩
飛騨山脈の東縁は、糸魚川ー静岡構造線で区切られている。この大断層を境にして地形も地質も大きく異なっている。この断層の西側の地質構造は、北から南へ順に飛騨帯、飛騨外縁帯、美濃帯、領家帯と帯状に分布している。これらの岩石が飛騨山脈およびその西方にかけての地域の基盤をなしている。
 飛騨帯は、日本の土台といわれる飛騨片麻岩やここに貫入てきた船津花こう岩から構成されている。飛騨片麻岩の一部は、12億年前とたいそう古い時代を示しており、大陸の一部をなしていたという。船津花こう岩は、約1億8千万年前に貫入した。地質時代区分でいえば中生代のジュラ紀である。このジュラ紀に形成された花こう岩は、日本では船津花こう岩だけである。船津花こう岩は、樅沢岳付近から双六岳、三俣蓮華岳、黒部五郎岳付近およびこれらの山々の西側に広く分布する。
 飛騨帯の南縁を飛騨外縁帯が取り囲んでいる。幅は、ほとんどが数q(青海付近は約20q)と狭い。岩石は、石灰岩・頁岩・砂岩・礫岩・凝灰岩など古生代の堆積岩や結晶片岩・蛇紋岩などからなる。サンゴ・三葉虫・フズリナなどの化石から、古生代のデボン紀〜二畳紀に堆積した地層であると考えられている。なお、飛騨山脈西麓、上宝村福地の吉城層からは、日本で最も古い約4億数千万年前の化石、貝形虫が見つかっている。したがって、飛騨外縁帯全体としては、古生代オルドビス紀から二畳紀という幅広い時代に形成された地層が複雑に接して分布していることになる。
 槍岳山荘の南側テント場から飛騨乗越にかけての稜線付近には、飛騨外縁帯に属する槍ケ岳結晶片岩が分布している。また、硫黄岳山頂付近や双六谷あるいは、穂高平や鍋平南東付近、蒲田の南(蒲田川左岸)にも結晶片岩が部分的に分布している。
美濃帯は、飛騨外縁帯のさらに南側に広く分布する。砂岩やチャートを主体にした地域および緑色岩(玄武岩質溶岩や玄武岩質凝灰岩)や石灰岩を主体にした地域に分けられる。石灰岩には、しばしばフズリナ化石が含まれ古生代二畳紀に堆積したことをを示している。また、チャートなどに含まれる放散虫やコノドント化石は、中生代三畳紀〜ジュラ紀に堆積したことを示している。石灰岩は、暖かい南方の海山などで、玄武岩質溶岩は海底火山で、チャートは大陸棚や縁海の底で、砂岩や頁岩などは陸地にそばの海底でそれぞれ形成されたものである。このようにそれぞれ生い立ちの異なる地層が複雑に接し合って分布する。その理由は、付加という考え方で説明できる。海洋底は、南方からゆっくりと移動してきて日本列島の下に潜り込んでいく。その時、海底堆積物や珊瑚礁を載せた海山は、密度が小さいため当時の陸地に押しつけられる(付加する)ことになる。また、陸地からは泥や砂が海底に堆積する。こうして、生い立ちの異なる堆積物が隣りあって分布することになる。なお、飛騨外縁帯も時代は美濃帯より古いが、美濃帯と同じような過程を経ており、より古い時代の付加帯であると考えられている。
 この地層は、新穂高ロープウエイの西穂高口の西側にある山腹一帯から焼岳山麓、安房山あたりに分布する。

(2)巨大な湖の堆積物:手取層
当時は、大陸の東縁を占めていたがその一部に大きな湖(時には海)が出現し、その湖底に砂や泥などが堆積した。中生代ジュラ紀〜白亜紀のことである。これが手取層と呼ばれる地層群である。貝類・シダ植物・裸子植物などの化石が多く含まれている。近年は恐竜化石が岐阜・石川・福井・富山各県で発見され人々の関心を呼んでいる。
 これら手取層は、太郎山、北ノ俣岳、黒部五郎岳山頂付近、薬師岳の山腹、および左俣谷上流あたり(鏡平の南〜東)から樅沢岳北東斜面に分布する。

(3)激しい火山活動を語る笠ヶ岳
 秀麗な山容の笠ヶ岳ではあるが、その東側斜面は、急峻でおよそ1,400mにもおよぶ大岩壁になっている。この大岩壁には、水平な縞模様があり、笠ヶ岳の特徴となっている。
 この笠ヶ岳および東隣の抜戸岳は、笠ヶ岳流紋岩類からできている。この岩石は、中生代の白亜紀末から新生代古第三紀にかけての激しい火山活動でつくられた。火山活動は、都合4回あった。それぞれ溶岩や火砕流が噴出したり、陥没してできた湖などの凹地に砂礫層が堆積したりした。なお、火砕流堆積物は、自分自身の重みと熱でつぶされて固い岩石すなわち溶結凝灰岩という岩石になっている。このような溶結凝灰岩や砂礫層などは、ほぼ水平に堆積している。そして、それぞれの岩石の堅さによって侵食のされ方が異なってくる。そのため大岩壁にきれいな縞模様を生じた。

(4)世界一若い花こう岩:槍・穂高連峰
槍・穂高連峰の各山頂や稜線を中心とした比較的高い部分は、穂高安山岩類からなる。これは、新生代新第三紀鮮新世(約240万年前)に噴出した安山岩質の溶岩や溶結凝灰岩などの総称である。この穂高安山岩類に貫入しているのが滝谷花こう閃緑岩である。この花こう岩閃緑岩は、約220万年から100万年前にかけて冷却固結した。これは、地表に露出している花こう岩の仲間では世界でもっとも若い。槍・穂高連峰の西側斜面から西穂高南方まで分布している。深成岩である花こう岩が、二千数百mの高さにまで上昇してきている。このことは、急激な隆起を物語っている。

(5)奥飛騨火砕流堆積物
弓折岳ー樅沢岳ー左俣岳を連ねる稜線あるいは笠谷や左俣谷流域の山腹には、黒雲母を多く含む流紋岩質の溶結凝灰岩が分布する。左俣谷の上流水鉛谷には火砕流を噴出すた給源火道が発見されている。およそ50万年前頃、ここで火山活動があり、火砕流が当時の谷を流下した。また、空中高く噴出した火山灰や軽石は、主に信州側へ流され広い範囲に降下堆積した。いわゆるクリスタル・アッシュとよばれるテフラ(火山性降下堆積物)がこれである。


図4 奥飛騨火砕流の推定流走範囲 原山智(平2)より

4 おわりに
飛騨山脈は、その険しい地形ゆえ 十分な調査を拒んできたが、「飛騨山脈はなぜ高いのか」、「この山脈が数百万年前に隆起を始めたのはなぜか」、「造山運動は今も続いているのか」といった疑問に向かって今も研究が続けられている。

【参考文献】
・槍ヶ岳地域の地質:原山他、地質調査所
・上高地地域の地質:原山智、地質調査所
・月刊地球 飛騨山脈の根:海洋出版
・日本の地質5 中部地方U:山下他、共立出版
・アースウオッチング イン 岐阜:岐阜県地学教育研究会、岐阜新聞
・飛騨の大地をさぐる:飛騨地学研究会、教育出版文化協会

【付記】
 この文をまとめるに当たって、日々ながめている飛騨山脈は、実に興味深い問題を投げかけているということを改めて知った。そして、実際に登らなくても望遠鏡などを用いたりしながら地形の観察などが可能でなかろうか。このような手段で、地学の授業に取り入れることができるかも知れない。飛騨山脈の教材化を試みる価値は十分ありそうである。
 なお、この文の大部分は、来年岐阜県が会場になる高校総体の山岳競技のテキストとして執筆したものである。自分自身としては、かなり以前(もう30数年前になるかな)に右俣、槍、西鎌尾根、双六、左俣のルートを2回通ったことがある。そのうち一度は地質調査が目的で、当時地質調査所の野沢保氏に連れられていったことを記憶している。サンプルの岩石が次第に増え、肩に食い込んだ痛みが未だに忘れられない。笠ヶ岳には登ったことがないので是非登りたいとは思ったが、今ひとつ体力に自信がない。困ったものである。
 前記の文献に頼って書き上げたが、原山氏の調査・研究にはただ驚くばかりである。険しい山岳地帯を実に丹念に踏査されており、その体力・気力・知力にただひたすらだ感心するだけであった。