ひだ地学69号 1999年12月22日発行〜71号  ホーム 目次

飛騨山脈南部の夏山気象

中田 裕一

 1.はじめに
 飛騨の高山市からは、乗鞍岳、穂高岳、槍ヶ岳、笠ヶ岳など、飛騨山脈(北アルプス)南部の山々を一望できる。特に、夕暮れで赤く染まった残雪の景色はすばらしい
 飛騨山脈を始め3,000m級の山々に登る場合、夏は最も適した季節である。夏の中部山岳は、背の高い太平洋高気圧に覆われ比較的天気が安定する。
 しかし夏山は、前線や上空寒気の南下、台風等によって荒天の場合もある。以下、観測データに基づき飛騨山脈南部の夏山気象について述べたい。

2.乗鞍岳とその周辺の観測データからみた  夏山気象
 ここでは、1997年7月〜9月を例として、以下の観測データを利用した(観測地点は図1参照)。

@国立天文台乗鞍コロナ観測所(標高2876m)
気温、風向風力、天気
A乗鞍岳無線ロボット雨量計(標高2730m)
 降水量
B岐阜大学流域環境研究センター高山試験地
 (標高1342m)
気温、降水量
C栃尾地域気象観測所(標高765m)
 気温、降水量

 



(1)1日の最高気温と最低気温について
 乗鞍岳山頂付近(標高2,876m)の乗鞍コロナ観測所でのデータから、7月〜9月の日々の最高気温と最低気温をグラフ化した(図2,3)。比較のため、中腹の岐阜大学によるデータ(標高1,342m)、山麓の上宝村栃尾の観測データ(標高765m、アメダス)も示す。
 図2によると、乗鞍岳山頂付近の最高気温は、7月下旬から9月始めにかけて15℃前後の日が多くなる。図3によると最低気温は、7月下旬から8月中旬にかけて10℃前後、それ以降は5℃程度まで下がった。これは、東京でいえば3月下旬から4月上旬の陽気である。さらに最低気温は、9月中旬以降、零下5℃に達する。
 3地点のグラフを比較すると、それぞれその標高に応じた気温である。夏季の「気温減率」は、平均して100m高度が上がれば約0.6℃の割合で気温が低下する。
 ただし、栃尾と中腹の岐阜大学のグラフを比較すると、最高気温は約5℃程度の差である。一方最低気温は約2℃程度の差しかない。つまり栃尾の気温の日較差は大きい。これは谷底ほど地表面との熱のやり取りが大きいからだと考える。
 以上から、稜線上の山小屋や幕営地では、ヤッケ、雨具等での防寒対策が必要である。特に雨天時に衣類が濡れると、凍える寒さになるので、乾いた着替えの準備も必要である。笠新道など尾根筋の登山道では、水場もなく日陰がない場所も多いので、熱射病等の注意を要する。登山前に水を十分に準備したい。また、登山では大きな気温差を体験するので、体調を整えなければならない。

(2)半旬(5日)ごとの降水量について
 図4に、乗鞍岳山頂付近(標高2,730m、無線ロボット雨量計)、中腹の岐阜大学によるデータ(標高1,342m)、山麓の栃尾の観測データ(標高765m、アメダス)から、半旬 (5日)ごとの降水量の累計を比較した。
 降水量からみると、1997年は7月20日ごろ梅雨が明け、8月いっぱい夏山であった。ただし、7月の終わりには台風9号、8月上旬は南下した前線の影響で降水があった。
 降水量は、この3ヶ所で比較すると乗鞍岳の山頂付近で最も多い。飛騨山脈南部は、夏季の多雨域のひとつである。山塊が気流に対し障壁になるためだと考える。山岳では、一般に海抜1,000m〜1,500m付近に多雨帯があり、この事例の乗鞍岳のように山頂で多雨だとは限らない。
 高山帯では植生や土壌が乏しいため、短時間でも激しい雨は要注意である。台風の大雨があったり、局地的な雷雨などの降水が上流であれば、小さな沢も急に増水する。
 多くの登山道は、大小の沢を横切っている。増水時には橋の流出、がけ崩れの危険がある。天候が回復した後でも、山小屋等での情報収集が必要である。沢筋で幕営する場合は、できるだけ高台にテントを設営するとよい。

(3)風向と天気について
 図5は、乗鞍コロナ観測所のデータによる風向の頻度と天気の関係を示す。1997年7
月〜9月の毎日午前9時の観測を集計した。
 図5によると、乗鞍岳山頂付近では、西寄の風の頻度が大きく次は北西の風である。両方で68%を占める。雨天でも晴天でもこの傾向は同じである。
 西〜北西寄りの風向が多い理由は、標高3,000m近くの稜線が上空の気流の影響を受けるからである。
 稜線上の幕営地では、可能な限り西風を避けるようにテントを設営するとよい。幕営地では、西側に石垣を組んである場合もある。


(4)風力・風速と天気について
 風向と同じ観測データから、風力・風速と天気の関係を示したのが図6である。
 図6での頻度は風力1が最も大きい。しかし風力0から7までほぼ満遍なく出現している。そして、雨天の場合は風力が大きく、晴天や曇天の場合は風力が小さい傾向がある。特に風力7(風速13.9m/s〜17.1m/s)ではほとんど雨天が占める。
 体感温度は、風速1m /sの増加につき1℃低下する。朝方5℃の気温のときの風速が10m/s(風力5)であれば、−5℃程度に対する防寒具が必要となる。また、夏季の稜線では、特に雨天時、突風の危険性も大きい。10m/s以上の風速は、一般の登山には適していない。

(5)午前と午後の天気変化について
 図7は、1997年7月〜9月について、乗鞍コロナ観測所の毎日午前9時と午後3時の天気記録を比較したものである。
図7によると、雨と霧の頻度(日数)はほとんど変わらない。しかし、晴れの頻度は午前に比べ午後に小さくなり、一方で曇りの頻度は午前に比べ午後に大きい。
 これは晴天日の山頂付近は、午後に雲が出やすいからだと考える。つまり晴天日は、斜面に接する空気が温まり上昇気流となる。上昇すれば、上空での気圧の低下に伴い気温は下がる。これを「断熱膨張」という。すると水蒸気が飽和状態となって雲が発生する。


3.笠ヶ岳での気温・湿度の現地観測データ  からみた夏山気象
 1999年7月30日〜8月28日までの約1ヶ月間、笠ヶ岳山頂と笠新道に沿う4ヶ所(図8、約400〜600mごとの高度)で気温と相対湿度の観測を行った。小型センサー(タバイエスペック社、サーモレコーダー)を設置、回収してパソコンで解析した。測定間隔は10分、相対湿度の観測最大値は99%である。
 約1ヶ月をグラフ化すると(図は省略)、晴天日の気温は、規則的な日変化を示し日較差も大きい。相対湿度の変化も各地点ごとに規則的である。一方、雨天時の気温の日較差は小さく、気温の変化傾向は各地点とも単調である。また雨天日の相対湿度はほとんど99%である。


(1)晴天日の気温の変化
 図9は、晴天日の代表として選んだ8月2日の地上天気図である。太平洋高気圧が東方から日本付近をおおっている。図10は、8月2日の気温のグラフを拡大したものである(各地点の標高は図10参照)。
 図10によると、標高が高いA地点ほど気温が低い傾向である。ただし図に示すように一時的に3ヶ所で気温が逆転している。つまり上空ほど気温が高い場合がある。このような空気の層を「逆転層」という。
 CD間(標高2,050mと1,370mの間)の逆転層は、晴天日(少なくとも午前中に晴天のあった日)の明け方には必ず出現する。また、C地点とD地点のグラフは、標高が違うにもかかわらず、明け方の間接近している。
 このことから谷底のD地点は、冷気流の通り道だと推測する。冷気流は、晴天日の夜間、斜面の放射冷却によって発生し谷底を流下する。このような密度が大きい冷気流を「山風」という。
 また、BC間(標高2,450mと2,050m)の逆転層は、晴天日の昼頃ほぼ毎日出現する。これは、午前中の日射で斜面が暖まることに伴い、冷気流(沈降流)が解消し上昇流が発生したからだと考える。上昇流は上空で冷えて雲をつくる。雲の上は相対的に乾いて暖かいので、そこが昼頃のBC間の逆転層となる。このような上昇流は、谷をはい上がるので「谷風」という。
 「山谷風」は山風と谷風を合わせた名称である。谷底に沿う気流ではなく山の斜面上の気流は、山谷風といわず、斜面風という。山谷風(斜面風)は、晴天日であれば登山行動中に肌で実感できる。

(2)晴天日の相対湿度の変化
 図11に、図10と同じ8月2日の相対湿度の変化を示した。一般に相対湿度は、気温が上昇すると小さくなり、低下すると大きくな
る。センサーは雲(現地では霧)の中の相対
湿度を99%と記録する。図12から各地点の湿度の変化は次のようになる。

A地点(標高2,898m、笠ヶ岳山頂)
  明け方までほぼ湿度99%で霧が発生し た。日の出(気温の上昇)とともに急激に湿 度が低下し晴天となった。晴天日では、必 ず夜間の湿度が上昇する。
B地点(標高2,450m、杓子平入口)
A地点とほぼ同様の変化を示すが、午前 中の湿度の低下はA地点に比べ小さい。
C地点(標高2,050m)
  他の3地点と異なり、明け方の湿度は80 %程度である。唯一霧が発生しなかった。 午前中の湿度低下はB地点より小さい。
D地点(標高1,370m、笠新道入口、谷底)
  明け方から午前8時ころにかけて、湿度 95%〜99%を記録した。他の3地点に比 べ湿度の低下する時刻が3時間程度遅れ  た。その間、霧が発生していたか近くに雲 (霧)があった。またA地点の湿度の回復 時間の遅れは、晴天日には必ず起こった。

 以上の結果を、次のように考える。
@太陽の陽がさすのが早いA地点(山頂付近)は、早く湿度が低下して晴天となった。
AA地点では、気温低下のため、夜間の相対湿度が99%近くに達して霧が発生した。
BB、C地点でA地点より湿度回復が遅れるのは、朝に太陽の陽がさす時刻が山頂のA地点より遅れるためである。
CD地点で何時間も湿度の回復が遅れる理由は、谷底のため太陽の陽がさす時刻が遅いうえ、谷底が冷気の通り道となるからである。冷気内は湿度も高く雲が発生しやすい。また、C地点とD地点の間、ちょうど標高1,500m付近は、年間を通し相対湿度が高く、雲が発生しやすいとされる高度である。
 これらのことから、太平洋高気圧が安定しているにもかかわらず、山頂や稜線付近で発生した夜間の霧は、むしろ翌日晴天になる可能性が高いと考えてよい。
 また、D地点での湿度の回復時間の遅れと、CD地点間の逆転層は晴天日に必ず発生する。その理由として、放射冷却で発生した冷気流は、逆転層と高湿度伴うからだと考える。
 晴天日の明け方に発生するD地点での雲層は、山上から見える雲海の一部になる場合が多いと推測する。逆転層の高度以上に下層の比較的冷たい雲は上昇できないからである。

4.雷について
 飛騨山脈は、7〜8月の雷の多い地域のひとつである。谷風による上昇流は、午後になると水蒸気を山域に集めるという。
 雷は、その発生原因で分類すると「熱雷」と「界雷」、および両方が複合した「熱界雷」になる。一般的に熱界雷は激しい雷雲になる。
 熱雷は、強い日射で地表面付近の気温が上がる時、上空に寒気が入ると発生する。地表面付近の空気の浮力が高まるため、強い上昇気流が生じて積乱雲となる。熱雷は、空気が温まる午後に発生し日没ころ終了する。
 界雷は、発達した低気圧や寒冷前線上で発生する。界雷は夜でも昼でも発生する。
 雷が発生しやすい条件は、上空に寒気が入った場合、日本列島上および近海に寒冷前線や停滞前線、あるいは低気圧、気圧の谷のある場合である。しかし、雷雲がどこで発生し、落雷がいつどこであるかは正確に予測できない。
 熱雷の場合、上空寒気の持続時間から3日程度連続する場合が多い。また、雷雲が発生する日は、通常より大気が不安定なので朝に晴天であっても、午前中の早い時間から雲が湧き出す。
 山岳地域で特に落雷が多い場所は、山頂や稜線や尾根上である。火山岩の残留磁気を調べると、乗鞍岳などの尾根上では落雷が多いという。落雷により、溶岩が固まるときにできた残留磁気が乱れるからである。
 山岳での雷雲は急激に発生する。したがって天気情報や山小屋の情報あるいは現地での雲発生の観察等で、雷発生の可能性があれば、山小屋の位置やエスケープルートまたは登山行動の中止を考慮した計画が必要である。
 落雷に対する安全対策は、北川信一郎氏によると次のようである。落雷にあわないことが第1であるが、非常時のために記す。
@落雷を誘引するのは、人体が帯びる金属片ではない。地上から突き出ている人体である。まわりに突起物がない尾根上などでは、しゃがむ程度では雷を誘引する。緊急時にはひれ伏す。洋傘等を体より上に突き出さない。テントのポールなどからはすばやく離れる。
A体に着けた金属片があると、落雷時に金属付近が熱傷するが、致命的な体内伝導電流はそれだけ減少する。金属製品は身体に着けたままで避難する。  
B樹木や避雷針のない高い建物のすぐ近くは危険である。これらの物体は背が高いので、落雷を受けやすい。また落雷があったとき近くにいれば間接的な側撃を受ける。
C落雷直後の1分間を使って移動する。半径100m内で相次いで落雷する確率は低い。また、雷に対する安全空間は、自動車、列車、コンクリート建物内部(電気を安全に流す導体に囲まれた空間)である。一般の建物では、電灯線、アンテナ線などから1m以上離れた空間である。
 高い物体を利用して雷を避ける場合の注意は次のようになる。
@避雷針の保護範囲(頂上を45度の角度で見上げる範囲)。に入る。ただし安全率100%ではない。
A高さ4m以上の物体(樹木等)では、頂上を45度の角度で見上げる範囲内で、すべての枝先、葉先など、どの部分からも2m以上離れる。側撃を避けるためである。
B高さ4m以下の物体からは遠ざかる。
C送電線を45度で見上げるベルト地帯(保護範囲)を通って避難する。

5.おわりに
 本文では、主に乗鞍岳と笠ヶ岳での観測データをもとに夏山気象の特徴を記した。飛騨山脈は最も人気のある山域のひとつであり多くの人が入山する。そして遭難事故も多い。そのためどうしても危険な面を強調した内容になった。
 しかし、飛騨山脈は、登山道や指導標、山小屋などが最も整った山域である。夏山では、医者が常駐する山小屋さえある。しっかりした登山計画、装備、山岳の気象や地形に対する知識を用いて安全登山をしてほしい。ぜひ3,000m級の山々の壮大な景色を味わい、できれば自然について興味を深めてもらいたい。
 本文作成にあたり、気象庁のアメダスデータ以外に、国立天文台乗鞍コロナ観測所および岐阜大学流域環境研究センター高山試験地からデータの提供を受けた。記して感謝したい。

【参考文献】
飯田睦治郎・桜井博幸(1995):山の気象と救急法、東京新聞出版局
北川伸一郎(1992):人体への落雷と安全対策、天気39巻(日本気象学会)
城所邦夫(1995):山の気象学、山と渓谷社
小林国男(1955):日本アルプスの自然、築地書簡
丸山成明(1998):安曇村誌第1巻自然(気象)、ぎょうせい
吉野正敏(1986):新版小気候、地人書館

【付記】本稿は、平成12年度インターハイ、第44回全国高等学校登山大会の予報第1号(P26〜P31)に掲載したレポートである。