ひだ地学91号 2001年11月2日発行   ホーム 目次

宮村 山下上、北方の中生代白亜紀植物化石

三宅 幸雄

1.まえがき
1986年に当時の宮中学校の先生,生徒によって発見された植物化石は三宅によって採集された。1991?年、これら植物化石標本を(財)自然史科学研究所の木村達明博士に鑑定していただいた。200年11月に再調査を行った.それらをまとめた。以下、植物化石を産出した層を本層と記する。

2.場所と本層月の様子
 本層は山下上北方の林道より林道づたいに北方へ約500m行った所の林道切り崖(西方)より産出する(別紙の地図参照)。本層は長さ約15mで層厚は約10mである。走行,傾斜は場所によって大幅な違いがあり、測定できなかった。本層の北方,南方は浪飛流紋岩類の溶結凝灰岩であり、それらに取り囲まれている岩体に見える。本層は堆積岩の黒色頁岩と灰白色凝灰質頁岩で構成されている。

3.化石を産出する岩石と周辺の地質関係
 植物化石は本層堆積岩の黒色頁岩と灰白色凝灰質頁岩から産出した。この堆積岩類は、「三日町地域」図幅(河田・1981)によると、濃飛流紋岩類の三日町層にあたる。この層は清見村三日町の東方など小規模に分布し、凝灰岩や凝灰質砂岩や泥岩を主とする。この層から化石を産出するのは現在の所、当地だけである。
 また、これらの堆積岩は木村教授によれば、石川・福井県境に分布する大道谷層のそれらとよく似ている。それらの時代は中生代白亜紀最後期にあたり、植物群は温帯性でかつシベリア型である。
 この三日町層は漉飛流紋岩類の彦谷溶結凝灰岩と、同じく濃飛流紋岩類の源氏岳溶結凝灰岩に小規模岩体?として挟まれている。このことから火山活動によって流れた溶岩(彦谷溶結凝灰岩)の上に何らかの要因で凹部ができ、湖が形成され、土砂や火山灰が湖に流れて堆積岩ができ、そこへ再び火山活動が始まり、湖が溶岩に覆われたことが考えられる。または、三日町層全体は、元々ひとつの湖の湖成堆積物と考えると、火山活動による溶岩によって、これら堆積物が押し流されバラバラになったのではないだろうか。


図1 メタセコイア

図2 ソレニテス


4.化石
 黒色頁岩,灰白色凝灰質頁岩からは、下記の植物化石を産出した。鑑定は木村博士による。
Sequoia? sp.(Taxodiaceae)
 セコイアはスギ科の常緑針葉樹類で、中生代ジエラ紀から現在まで分布している。中生代白亜紀後期から新生代第三紀前半に北半球に広く分布していた。現在は北アメリカの西海岸のみにしか分布しておらず、生きている化石として有名である。本層では、葉の部分を少産する.

Solenites? sp.(Czekanowskiales)
 ソレニテスは、絶滅したチェカノフスキア目で、イチョウと球果類の中間的性質を持つ植物のうちのひとつ.中生代三畳紀から白亜妃に北半球に分布していた。本層では、セコイアより、少し多く産出し、葉の破片を産出する。

Metasequoia sp. cf.m.glyptostroboides Hu et Chen
 メタセコイアはスギ科の落葉針葉樹類で中生代から現在まで分布している。以前はセコイアと同混されていたが、故三木博士により分別され、絶滅種とされた。その後、中国、四川省で生息していることが確認され、生きている化石として有名である。
 本層では、露頭の地表近くの数センチの灰白色凝灰質頁岩に葉片が密集して産出する。葉片ばかりが密集するのは落葉樹のためで、季節が存在していたことがわかる。葉の部分は現在の所、1ケのみ産出した。

5.後記
 本層の植物化石の保存状態は良くないが、地質学的に重要な化石である。
 この植物化石が生息していた当時は火山活動が盛んであったのにもかかわらず、大地に根をはって生きていた。それが化石となって宮村に残された。