ひだ地学97号 2002年5月21日発行   ホーム 目次

濃飛流紋岩類の名前の由来

山田 直利(顧問)

 1960年の夏に、従来の「石英斑岩」が実は流紋岩質の溶結凝灰岩であることがわかり、新たに名前をつけることになりました。岩体中央部の地名である「下呂」も候補には上りましたが、結局、いつもお世話になっている「濃飛バス」の「濃飛」を使うことにしました。ここまでのいきさつは、杉村 新さんの「大地の動きをさぐる」に出ている通りです。もともと「濃飛」とは美濃と飛騨を合わせた地方名(岐阜県と同義)ですので、この命名法は結果的に実態に合ったものだったと思います。
 一方、「流紋岩」の方は、広島県を中心とする「高田流紋岩類」という呼び方がすでにあり、これにならったものでした。もともと流紋岩は酸性の溶岩に対して付けられていた岩石名ですが、火山学の進歩により、酸性の火砕岩、とりわけ火砕流堆積物が非常に重要であることが知られるようになり、酸性の溶岩と火砕岩を合わせたものに流紋岩という名称を与えることが学会では一般的になっていました。そこで、火砕流堆積物が主体の濃飛流紋岩類でもそのような広い意味で使いました。しかし、このことはいまでも一般の方からよく質問される点です。
 その後、西南日本のほぼ同時代の岩石に対して、「湖東流紋岩類」、「奥日光流紋岩類」、「泉南流紋岩類」などの名前がつけられるようになりました。一方では、類似の岩石に対して、「阿武層群」、「匹見層群」、「生野層群」、「有馬層群」などの名前が付けられています。これはそれぞれ「いきさつ」のあることですが、いまから考えると、「濃飛」や「湖東」が流紋岩質の岩石のみからなるのに対して、主として西日本に分布する「〇〇層群」が、流紋岩質の岩石のほかにデイサイト質〜安山岩質の岩石をかなりの程度含んでいることを反映しているかもしれません。このこと一つとっても、岩石の名前にはいろいろおもしろい背景があることが分かって頂けることと思います。