ひだ地学第103号 2002年12月25日発行   ホーム 目次

阿寺断層と湯ヶ峰火山

巡検日:2002年12月14日

下呂町三ツ石の低位断層崖 

 さる12月14日に、岐阜の地学を学ぶ会との合同巡検を行いました。場所は、益田郡下呂町・萩原町でした。岐阜の地学を学ぶ会の、来年春の見学会の下見を兼ねています。
 参加者は、飛騨地学研究会から、下畑、鷲見、清水治、中田の各会員4人、岐阜の地学を学ぶ会からは、笠原、鹿野、木澤、小野、藤岡の各会員5人でした。天気は晴れ。季節は冬ですが巡検には良い日でした。阿寺断層を中心に現地で確認をしました。 阿寺断層は、益田郡萩原町から中津川市付近まで伸びる活断層の集まりです。その全長は約70kmにもなります。左水平ずれが卓越し、水平変異の累積は約8kmで垂直変異の5〜10倍に達します。トレンチ調査から、過去13,000年間の活動の平均周期は1,700年とされています。
 まず最初行ったのは、下呂町三ツ石の阿寺断層(湯ヶ峰断層)の低断層崖です。一見土手のように見えますが、谷の下流側が上がっていてケルンコル(断層運動による山のくぼ地)につながっています。またこの断層崖のため涌き水が堰きとめられて湿地を形成しています。そこには、2つの水神さまの石碑が祭ってありました。近所の方に聞くと、そのうち断層崖のすぐそばの石碑は最近作ったものらしいです。しかし、湿地のすぐそばの石碑は、古いらしく「琵祭天宮 大正十三年」の文字が読めました。 次に阿寺断層(下呂断層)の断層破砕帯を見ました。ちょうど道路工事のため、崖が削られていました。破砕帯によって粘土化した緑色の部分がよくわかりました。
 さらに乗政川をさかのぼって、湯ヶ峰のふもとに行きました。湯ヶ峰流紋岩(下呂石、小川石)を採集するためです。湯ヶ峰火山(1,067m)は、デイサイト質(流紋岩質)の溶岩からなる単成火山です。約12万年前に噴火したといわれます。湯ヶ峰火山の溶岩は、通称、下呂石や小川石と呼ばれ、この火山特有の石です。特に黒褐色の下呂石は割れ口が鋭いため、縄文時代から弥生時代に石器の材料として利用されました。乗政温泉の近くの谷をのぞくと、下呂石や小川石を発見できました。見学会のときは、ここで石を拾ってもらうことにしました。
 それから、下呂温泉にもどり峰一号遺跡の博物館に行きました。峰一号は縄文遺跡です。ここでは下呂石による石器が発見されています。無料の博物館を見学すると、下呂石は、黒曜石と同じく東海地方一円で利用されたことがわかります。そろそろお腹も空いてきたので下呂の町中に入り、中華料理店で昼食をとりました。
 昼食後、萩原町の阿寺断層の地形や破砕帯を見学して解散しました。鹿野先生が10年以上前の地図に記録を記入して持っていたのにはびっくりしました。雪が所々積もっていたので、雪の多い場所から来た飛騨の会員が長靴を履いてきたことは正解でした。一方、雪の少ない岐阜の地学を学ぶ会の会員、特に小野先生は、雪の中を歩いてズック靴が濡れてしまったようでした。