ひだ地学第98号 2002年6月27日発行   ホーム 目次

宮村付近の三日町層の調査

巡検日:2002年6月9日

宮村三日町層での巡検風景 

  さる、6月9日(日)に、宮村を中心に巡検を行いました。参加者は、山田直利顧問他、下畑五夫会長、岩田 修副会長、打江 進・木下耕一(ご子息)・黒田耕一郎・後藤祐孝・清水 治・寺門隆治・中口清浩・三宅幸雄・鷲見 浩・中田裕一、以上14名となりました。天気予報もはずれ、天気は快晴。暑い中、集合した宮村役場の民俗館で打ち合わせを行いました。
 今回は、宮村周辺の濃飛流紋岩類の中でも、特に彦谷溶結凝灰岩と高樽溶結凝灰岩の間に位置する三日町層の調査です。三宅会員が見つけた三日町層の化石は、木村達明氏の鑑定によると、中生代白亜紀化石(1億4,600万年〜6,500万年前)であることわかりました。この化石は、濃飛流紋岩類(約1億〜5,000万年前の火山噴火)の生成史を考えるうえで重要な発見です。濃飛流紋岩類の噴火の間には、化石ができるほどに植物が繁茂した休止期があり、その年代もわかったというわけです。
 三日町層は、源氏岳(標高1143m)の周囲に断片的にブロック化して、数ヶ所に分布しています。最初に宮村役場近くの、化石が発見された三日町層に行きました。林道を歩きながら濃飛流紋岩類から三日町層に変わるあたりを観察しました。山田顧問の足の速さにはついていくのがやっとでした。三日町層のところで、三宅会員から化石の出たところを教えてもらい、泥岩をうすくはがして見ましたが、やはり簡単に化石は見つかりませんでした。三日町層の向こう側の境界を見るために、谷をどんどん登って行き尾根の直下まで行きました。
 いったん役場にもどり、ここちよい風の中、昼食にしました。次に向かったのが、数キロ離れた大規模林道の工事現場です。まだ工事が途中のため、あちこちに露頭が出ています。ここでも濃飛流紋岩類の火山岩と三日町層の境界付近を観察しました。眼下には宮盆地、その向こうには残雪のある乗鞍岳が見えました。ここで記念写真を撮りました。 最後に、尾根の向こう側、清見村の三日町層に行きました。いったん高山市に入り越後谷から行きました。これら3ヶ所の地層はもともとつながっていて、その局面があちこちに出ているようです。
 山田顧問によると、今回の巡検のポイントは次のようになります。
@ 三日町層と彦谷溶結凝灰岩・高樽溶結凝灰岩との間の関係。傾動した彦谷溶結凝灰岩の上に不整合に三日町層が乗っているとのことです。
A 濃飛流紋岩類の噴火VとWの間の休止期。三日町層の植物化石により、何万年か何十万年か噴火の休止期があったことがわかります。
B 地質図の細部の見直し。三日町層の分布をもとに、地質図の細部の見直しが必要です。
 やがて日が傾くころ、清見村三日町のドライブインで、冷たい飲み物で一息つきました。そして、三宅会員(主に化石)と中口会員(主に地質)を中心にして、地質調査を続けることになりました。目標は地球科学(地学団体研究会)等の学術雑誌への投稿です。山田顧問によると、このような発見は速報性に意味があり、また早く論文を書き上げる気にならないと完成の機会を逃すので、急いでほしいとのことでした。会としても様々な面でバックアップしたいと思います。