ひだ地学第63号 1999年5月30日発行   ホーム 目次

河合村・宮川村の跡津川断層

巡検日:1999年5月9日

宮川村丸山の断層崖 

 5月9日に行った巡検について報告します。天気は快晴。新緑の中、充実した巡検でした。参加者は以下のようです。
@案内者:舩坂忠夫、永田忠臣、下畑五夫、岩田 修、寺門隆治
A場所:河合村、宮川村
B参加者:岩田 修、木下耕一(+子供2名)、小坂光三、下畑五夫、寺門隆治、中田裕一、舩坂忠夫、三宅幸男
 古川町役場前に集合し、一路河合村稲越に行きました。稲越では、河合村史を編集されたという永田忠臣さんが待っておられました。永田さんから飛騨地震の被害について、多くのことを聞けました。
 稲越は、跡津川断層から離れています。しかし、江戸時代後期の飛騨地震では、稲越の桂上(けじょう)で死亡者(崖崩れ)が出たほか、川がせき止められて水が着いた場所もありました。やはり、舩坂先生が言われるように、稲越には跡津川断層と関連した断層があるようです。
 ちょうど現在、古川町黒内と河合村稲越間の峠付近の山が崩れていました。崖は稲越側にあり、そこには幅約300mにわたって尾根の直下から谷底まで崖肌が見えます。そして、崖の真下のトンネル工事が中断していました。永田さんによると、工事の請負会社は、崖崩れの原因は不明だと言っています。しかし責任問題があるので、今さら断層があったと言えないのではないかと聞きました。
 次に行ったのは、跡津川断層上の河合村元田です。元田小学校跡から、飛騨地震のとき崖崩れしたという山を仰ぎ見ました。校庭の脇には例の地震の記念碑があります。まだ地震の記憶がなまなましい大正時代に建てられたものです。ここで全員の記念写真を撮りました。
 元田で昼食タイムです。岩田先生は、携帯用のガスコンロを取り出してカップ焼そばでした。さすが巡検慣れしています。薫る風が気持ち良く、下畑先生は昼寝の時間となりました。舩坂先生は、これまで案内していただいた永田さんを稲越に送っていかれました。
 昼食後、天生峠の発電所跡へ行きました。ここへ行くには、ゆらゆら揺れるつり橋を渡らねばなりません。みんな冷や冷やでした。ここには川に沿う断層破砕帯や破砕帯に伴う粘土があります。また川原では飛騨片麻岩を採集することができます。下畑先生は、かつて測量をした場所だそうです。
 もう一度元田に戻り黒鉛鉱山跡や夢ドーム(保存した雪を夏に見せる)を見学しました。
 次が宮川村野首の断層崖跡です。ここは断層のトレンチ調査が行われたところです。今、断層崖は工事のため平らにされてしまいました。寺門先生に、吉城高校地学部が放射線量の測定をした場所を案内してもらいました。
 さらに宮川村丸山で今も残る断層崖を見学し、種蔵の山手に登り断層全体を遠望しました。寺門先生によると、「アースウォッチング岐阜」の跡津川断層の写真はここで撮ったものです。白山が見通せる日に撮影するのにずいぶん苦労したそうです。今回は残念ながら午後になってしまったので白山は見えませんでした。
 そして、いざ古川に帰りました。みんな快い疲れを持って帰宅しました。以上のように盛りだくさんな巡検でした。