ひだ地学第162号 2009年7月21日発行   ホーム 目次

福地山登山と古生代化石

巡検日:2009年5月29日

福地山山頂より槍ヶ岳 

 5月29日(金)、奥飛騨温泉郷福地「民宿・粋泉荘」で、平成21年飛騨地学研究会総会が開催されました。参加者は、下畑会長、岩田副会長ほか、寺門、中口、杉山、足立、三宅、中田の各会員でした。
 宴会終了後、部屋に戻り、岩田副会長から、「飛騨分水嶺の謎」というテーマで発表がありました。活断層の影響で分水嶺ができていますが、飛騨には、まだまだ面白いテーマがあるようです。その後、三宅会員から、古生代化石を見せてもらいました。特に目をひいたのが、石を割ったら出てきたという三葉虫の化石でした。ほぼ完全な形が残っていましたその後、温泉に入り、宴会の続きが始まりました。
 翌日、5月30日(土)は、福地山登山を兼ねての巡検を行いました。登山道に沿って化石が落ちています。天気は、あいにくの曇りでした。岩田副会長は前の晩のうちにお帰りになり、逆に岩塚、鷲見会員と大森さんが巡検に加わりました。
 朝9時30分に、登山口から登り始めると、カーブごとに露頭があり、石灰岩の様子を観察しました。三宅さんによると、ソウコウチュウの化石だそうです。他にフズリナの化石がありました。
 やがて無然平に到着しました。せっかくなので山頂に向かいました。兵庫県生まれの篠原無然(しのはらぶぜん)は、大正3年、上宝第一小学校の先生となり、翌年、平湯分教場に赴任しました。27歳の若さで、望んで山間地域の社会教育に打ち込みました。しかし、大正13年、長野県から雪の安房峠を越え平湯を目指したとき、寒さと疲労で遭難死亡してしまいました。安房峠には昭和35年につくられた慰霊碑があります。無然のつくった歌、「飛騨青年の叫び」には、「ああ偉なるかな飛騨の山、ああ美なるかな飛騨の渓、ああ清きかな飛騨の水」とあります。山が好きだった無然らしい詩です。無然平は、その無然が小屋を作った所だそうで、無然の像が建っています。
 さて、無然平から小雨がぱらつきだしやがて雨になってしまいました。化石が出なくなったとたんに、三宅さんの足取りが重くなりましたが、なんとか山頂まで登ってもらいました。晴れていれば、山頂は槍穂高連峰の絶好の展望台です。山頂にみんな集まり記念写真を撮る頃、ありがたいことに曇り空の下に穂高連峰の勇姿を望むことができました。