ひだ地学第160号 2009年8月5日発行   ホーム 目次

高山インター付近の濃飛流紋岩の見学

巡検日:2009年8月1日

濃飛流紋岩の露頭
 

 梅雨が終わらない8月1日、中部縦貫自動車道高山インター近くで巡検を行いました。先に岐大の小井土先生より、露頭の情報をいただいていました。場所は高山市高草洞峠のふもとです。工事によって数百mの切土がなされています。下側に飛騨外縁帯の頁岩・砂岩があり、上側に濃飛流紋岩が乗っているという話でした。
 午後3時前、この日は断続的な豪雨があり、とても巡検ができそうな日ではありませんでした。そのため、あちこちから携帯で、巡検を行うかどうか問い合わせがありました。しかし、とにかく現場に行ってみることにしました。集合時刻に高山インターの入口に集まったのは、下畑会長のほか、鷲見、三宅、足立、中田の各会員でした。幸いこの時、雨がやんできました。現場の工事現場の崖はよく見えます。さっそく現場に自動車を移動し、崖のふもとの広場に行きました。遅れて、大垣から畑山さんがお見えになりました。兵庫教育大で美濃帯のチャートを調べられたそうです。さらに、良く見ると、岩田副会長が、知らぬまに歩いているではないですか。
 露頭は、下部が茶色から黒色で、近くに行って見ると数cm間隔で縦に割れ目が入った粘板岩(頁岩がやや熱変性している)でした。特に黒い部分は、二酸化マンガンによるものです。その上に白っぽく黄土色の部分があり、それは濃飛流紋岩でした。境界がはっきりしており、かつての地表面だった堆積岩の上に、火山から噴出した濃飛流紋岩が不整合に覆っていることがよくわかりました。積もった火山噴出物の熱で、泥岩が変性して頁岩から粘板岩になったものでしょう。境界は色が違っているので、単純そうでしたが、良く見ると、あちこちで境界が不連続になっています。
 また濃飛流紋岩の上には、もっと新しい時代の円礫や土壌が乗っていました。また濃飛流紋岩は、風化が進んでザクザクの状態でした。これは、ここの濃飛流紋岩が数百万年以上の年月に渡って水がしみるような地表近くにあったことをうかがわせます。高山盆地が、堆積物がどんどんたまるような沈降性の盆地でないことと関係あるようです。