ひだ地学第132号 2005年12月19日発行   ホーム 目次

飛騨外縁帯の岩石と化石

巡検日:2005年11月23日

飛騨外縁帯・上広瀬礫岩(宮川河床) 
 今回は、「岐阜の地学を学ぶ会」の見学会の下見をかねて飛騨外縁帯の岩石を見ることになりました。11月23日、勤労感謝の日に、高山市民文化会館に午前9時に集合しました。岐阜からは、笠原先生ほか木澤、小野、藤岡さんが参加しました。飛騨地学研究会からは岩田副会長と中田会員、そして光記念館の一倉さん(女性)が参加しました。久々の女性参加です。岩田副会長は、一倉さんに「いちくら説明しましょう」と張りきっていました。
 飛騨外縁帯とは、東は槍ヶ岳付近から郡上市石徹白付近にかけて、幅数kmほどの範囲に帯状に点々と分布する古生代の岩石です。外縁帯の岩石は、変成岩(結晶片岩や蛇紋岩)や、堆積岩(石灰岩や頁岩、凝灰岩、礫岩)等です。その岩石の年代は、古生代オルドビス紀から二畳紀までの長い期間の地層や変成作用を受けた岩石を含んでいます。年代的には2億年以上前の岩石ばかりです。
 外縁帯が様々な年代の岩石の寄せ集めであることから成因は謎でしたが、プレートテクトニクスの考え方が出てきてから、その成因は次のように解釈されるようになりました。地球表面は何枚ものプレートに区分され、各プレートは年に数cm程度移動します。日本付近も何枚かのプレート境界がありますが、そのうち太平洋プレートには、海底火山や海底堆積物や珊瑚礁のある島が乗っています。これらの島や堆積物は、長い年月の間に日本列島に相当する部分に近づき、飛騨外縁帯の岩石として付加したというのです。太平洋プレートそのものは、日本海溝のところでマントル内部へ沈み込んでいますが、まわりより軽い岩帯は沈み込まずに付加しました。このように考えると、飛騨外縁帯が様々な時代の岩石でモザイクのようになっていることが理解できます。
 さて最初に行ったのは飛騨外縁帯の一部、国府町の上広瀬礫岩です。宮川河畔、あじめ峡に着いてみると、上広瀬礫岩がありました。かつては公園でしたが、昨年の台風による洪水等ですっかり荒れていました。次に丹生川横尾へ行き、外縁帯の礫岩を見ました。それから丹生川根方(ごんぼう)の岩影遺跡でウミユリの化石を拾いました。ただしこれは美濃帯の化石です。外縁帯の中では石灰岩を産し古生代化石で有名な福地に向かいました。そして途中、平湯のバスターミナルで昼食にしました。福地では、郷土館で山腰さんが集めた化石を見学してから、裏山の化石の道を散歩しました。それから栃尾、十三墓峠経由で高山に戻ると午後4時をまわりました。文化会館の喫茶室でうち合わせをして散会しました。岐阜の地学を学ぶ会の見学会は、来年5月ころに行われることになりました。