ひだ地学第80号 2000年12月18日発行   ホーム 目次

宮村・川上岳(かおれだけ)の濃飛流紋岩

巡検日:2000年11月23日

川上岳(かおれだけ)山頂で 

 さる11月23日(金)勤労感謝の日に、宮村・川上岳巡検をおこないました。参加メンバーは以下の通りです。地学研究会からは、下畑五夫会長他、舩坂忠夫・黒田耕一郎・木下耕一・中口清浩・中田裕一の6名です。また、宮村役場の中島照雅さんに案内をしていただきました。中島さんは植物に詳しいとのことです。
 下畑先生と中田の2名は、快晴が予想される朝曇り(高い霧)の中、集合地の宮駅に向かいました。9時少し過ぎに宮駅に着くと、宮村役場の金岡教育長をはじめ教育委員会の女性の方がお見えになりました。この巡検は、下畑先生が宮村史を執筆する関係で、調査の下見を兼ねたためです。
 2台の自動車に分乗し、さっそく川上岳の宮村登山口へ向かいました。途中、高い霧の写真を撮影してから向かっていると、中口先生の自動車とすれ違いました。集合場所を宮村役場と勘違いしていたとのことでした。宮盆地から山道に入ると霧が途切れて陽がさしてきました。やはり霧の外側は快晴です。中島さんに林道の鍵を開けてもらい、登山口に到着すると10時少しすぎでした。ここからは、川上岳の稜線が見えます。
 付近の濃飛流紋岩は中口先生の卒論のフィールドです。中口先生から断層の位置や断層破砕帯について解説を受けました。断層によるケルンコル(鞍部)の写真を撮って登りました。登山道は尾根に沿っていて、ネズコやヒノキがあります。中嶋さんからネズコとヒノキの見分け方について教わりました。よく見ると、ほとんどの針葉樹が大きな切り株の上に重なって生えています。中島さんによると、切り株の上は日当りが良いため、切り株の上に落ちた種が優先して成長できました。つまり、地面に直接落ちた針葉樹の種は、ササヤブとの生存競争に負けて生き残れません。
 途中、この付近には、ササウオがあるだろうかと話していると、下畑先生と黒田さんが見つけました。ササウオタマバエがササの葉に産卵するとササウオができます。すると、ササの葉がクルクル巻いて、まるでイワナのような形になります。江戸時代、飛騨の長谷川代官が調べて記録に残しているそうです。それから、ササウオを捜しながら登りました。しかし、下畑先生、黒田さんはどんどん見つけるのに、なかなか見つかりません。稜線近くになると、昨日降った雪が残ってあられ状になっていました。
 稜線まで登ると展望が開けています。青空の下はもえぎ色のササ原です。向こうにドーム状の山頂が見えます。山頂に着くと10人程の登山者のグループと会いました。萩原側から登ったようです。広々とした気持ちの良い山頂です。御岳、乗鞍、槍、穂高、黒部五郎、白山――――と展望も欲しいままです。そして高山盆地の霧はもう上がっていました。登山口から山頂まで、休み休みで約2時間でした。会誌には1時間と書きましたが、もう少しかかりました。ここで昼食と思っていると、なんと―――来ていないはずの木下さんが登って来ました。後から追いかけてきたようです。しかも、登山道を1時間で登ったというから驚きです。
 記念写真を撮ってから昼食をしました。そして、地質図を開いて、このあたりの濃飛流紋岩に関して中口先生からいろいろ解説してもらいました。濃飛流紋岩とは、中生代の白亜紀後期から新生代の古第3紀(約8,000万年〜5,500万年)にかけての期間に噴火した大火砕流による岩石です。なにしろこの岩石は、県面積の3分の1に分布し、休止期をはさんで噴火も何回もあります。噴火の合間には、侵食されて水底に堆積した部分もあるようです。また、その堆積岩は美濃帯のチャート(やはり堆積岩)を含んでいることもあると聞きました。三宅さんが宮村で化石を発見したとのことでしたが、堆積岩もあることがわかって納得しました。
 帰りには、宮木曽ヒノキ材木資源保存林に行き、中島さんに案内してもらいました。そこには、大イチイの木があり、さくで囲まれていました。このイチイの木の穴に昔、クマがいたのを、向こう側、萩原町山之口の猟師がしとめて、木に穴を開けているという話しを興味深く聞きました。
 結局、立派なササウオも見つけることができて上々の巡検でした。今度、三宅さん化石の案内をしてもらおうということにして散会しました。