ひだ地学第89号 2001年8月31日発行   ホーム 目次

地質講演会「岐阜県最高峰笠ヶ岳の生い立ち」

講演日:2001年8月5日

高山市民文化会館での講演会の様子(講師:信州大学 原山 智 先生) 

 8月5日の地質講演会講演会は参加者86名で盛況のもとで終了しました。地学研究会のメ
ンバーも多く参加しました。
 原山先生の講演は、まず笠ヶ岳のスライド上映から始まりました。笠ヶ岳の水平な縞模様の
スライドや、笠ヶ岳の支尾根にある錫杖岳の柱状節理のスライドが印象に残りました。特に、
笠ヶ岳の縞模様を横から撮影した写真は、縞が崖の緩急に対応していることをよく示していま
した。
 そしてOHPでの説明によると、笠ヶ岳の岩体は、中生代白亜紀末期〜新生代古第3紀
(7,000万年〜5,500万年前)の二重の陥没カルデラ火山であるといいます。恐竜が滅びるころ
のことです。火山活動は、4回に渡って断続的に起こり陥没カルデラをつくりました。さらに、火
砕流や溶岩流を生じ、陥没した場所の湖への砕屑岩の堆積を繰り返しました。
 縞模様は、硬い溶結凝灰岩とそれ以外の軟らかい火山噴出物(薄い溶岩や凝灰岩、砕屑岩)
とが交互に積み重なったものです。山体が侵食されるとき、溶結凝灰岩(熱で溶けなおして固
結)は急な岩壁をつくり、それ以外は緩斜面になり縞模様を生じました。

図 典型的ピストン型陥没カルデラ
   の形成モデル(講演会資料より)


 また、カルデラでの中央山体の陥没は、数百メートルであることが地質断面図によってよく
わかりました。現在の活火山の地下を観察することはほぼ不可能ですが、笠ヶ岳はかつての
火山の内部を観察できる貴重な存在だと聞いてなるほどと思いました。ちなみに、一般の人
にはイメージしにくいですが、現在の笠ヶ岳の形は火山と無関係です。今の形は山脈の隆起
に伴う侵食によってできあがったものです。
 最後に飛騨山脈の隆起についての解説がありました。飛騨山脈の隆起の一因は、200万
年〜150万年前、比較的軽い大量のマグマが直下に集まったことです。飛騨山脈はまず、マ
グマの浮力でゆるやかに隆起し、さらに約70万年前から東西方向の圧縮力も加わり隆起し
ました。
 槍・穂高連邦と笠ヶ岳の間(蒲田川付近)には断層があり、断層の東側、槍・穂高のほうが
より大きくしかも斜めに傾いて隆起したそうです。断層の西側、笠ヶ岳のカルデラ構造はほと
んど水平のままでした。しかし、断層の槍・穂高側が大きく隆起したため、カルデラの東側半
分の陥没構造は失われました。
 まとめは次のようでした。現在の笠ヶ岳は、時代順に@カルデラをつくる火山活動、A飛騨
山脈の隆起運動と山体の侵食、B氷期の氷河による侵食、以上の3つが重なって、出来上
がりました。
 講演の後、質問の受付がありました。たくさんの方の熱心な質問により、時間がオーバー
するくらいでした。特に、実際に山歩きをしていて、疑問に思ったことに関する質問がたくさん
出ました。その中で印象に残っているのは、笠ヶ岳山頂部の板状節理についてでした。柱状
節理については、溶結凝灰岩が溶けた後冷えて固まるとき、上の岩体の重力で押さえつけ
られながら、溶岩の体積が減少するので、縦方向の割れ目ができるということでした。しかし、
板状節理の成因については、しっかりした説明はまだなされていないようです。
 それから、飛騨山脈の名前に関する質問がありました。信州人の原山先生は、「地域ナシ
ョナリズムでいうと、越中も信州もあるのになんで飛騨山脈なのか、長野県なのになんで後
立山連峰(富山県立山の後ろ)なのか。」とくだけた感じで、会場も笑いの雰囲気になりまし
た。 という具合で楽しく充実した講演会だったことを報告します。(講演会情報へ)