ひだ地学第116号 2004年5月10日発行   ホーム 目次

三尾河断層南部の崩壊地の見学

巡検日:2004年5月9日

三尾河断層上の中山峠の湿原とミズバショウ 
 さる5月9日(日)に、荘川村三尾河断層の南部、一色スキー場、山中峠等で巡検を行いました。家を出るときは曇りでしたが、予報どおり雨になりました。メンバーは、岩田副会長、事務局の中田、そして最近会員になっていただいた金山町の加藤十良さんでした。天気が悪そうだったうえに、みなさん忙しかったようです。加藤さんは、土木関係の仕事をしてみえます。
 人数は3人のみで雨も降ってきましたが、せっかくなので巡検を行いました。最初に目指したのは、荘川村一色スキー場にある天正大地震にまつわる赤崩れの碑です。
 一色スキー場は、三尾河断層の谷より1本西側の谷にあります。碑の場所は、スキー場の最下部にあり、天正地震のときの赤崩村落の神社跡といわれ宮平ともいいます。碑文には次のようにありました。「天正十三年十一月二十九日連日の大震動により裏山崩壊し一瞬にして二十数戸の部落が全滅し数十名の人名を失ったと言い伝えられる−−−」建立は、「昭和四十年八月十一日 一惣森林組合」とあるので、地元の森林組合が言い伝えに基づき建立したようです。碑の右横にある五輪の塔は、天正大地震のときの遺物と伝えられています。
 スキー場の礫を見て回りました。礫は安山岩でした。近くの烏帽子火山の岩石です。岩田副会長によると、約400年前の斜面崩壊地であれば、その礫は角礫状でもっとがらがらになっているはずです。ところが、このスキー場の礫は、やや丸まっており粘土化した部分もあるので、もっと長い年数の間に崩れ堆積したものではないかということでした。つまり、付近で山体崩壊があったにしても、このスキー場で崩壊したというのは地質的に疑わしいということです。地形を見ても、付近は等しくなだらかで、ここだけが崩壊したようには見えません。
 歴史資料からは、赤崩れの崩壊は認められているようですが、場所の特定などには地質地形的なアプローチも必要なようです。
 次に、三尾河断層の谷に入り、山中峠を郡上市明宝町へ南下しました。途中、三尾河断層の上にある山中峠の湿原を見学しました。ミズバショウのさかりでした。このあたりから雨による霧が出て見通しが悪くなりました。
 さらに南下して、明宝スキー場に降りました。この近くには、やはり天正の大地震のとき崩壊したという水沢上(みぞれ)崩壊地があります。ここは、地質図のうえではっきり土砂の堆積地として記されています。視界は不十分でしたがそのクレーター状の地形を確認できました。
 この後、せせらぎ街道をまわって荘川インターにもどりました。雨脚も激しくなってきたので、午後1時半ころ解散しました。天気の良いとき写真を撮りに来たいものです。