ひだ地学第91号 2001年11月2日発行   ホーム 目次

久々野町宮峠断層の露頭

巡検日:2001年10月21日

宮峠断層を観察する会員達 

 10月21日(日)、大野郡久々野町の宮峠断層の露頭を見学しました。参加者は、下畑五夫会長、岩田 修副会長他、小坂光三、三宅幸雄、鷲見 浩、笠原喜之、寺門隆治、中田裕一の各会員8名、また新入会員の、清水 治、清水辰弥でした。これまでにない多くの参加者です。
 清水 治さんは、夏の地質講演会の際に参加を希望されました。これまで、瑞浪博物館の化石友の会で県下各地の化石を採集してきたそうです。もうひとりの清水辰弥さんは、久々野中学勤務で専門は地質です。岩田副会長の紹介により参加していただきました。2人とも高山市在住です。
 さて、宮村役場に午後1時集合。新しい方も多かったので、最初みんなで自己紹介しました。岩田副会長の案内で、自動車に乗り合わせ約20分で宮峠断層の露頭に到着しました。天気はあいにくの曇り空でしたが、なんとかもちそうです。
 この露頭は、岐阜県の「ふるさと農道緊急整備事業」のトンネル工事で現れたものです。このトンネルが完成すると、高山市と久々野町がぐんと近くなります。岐阜県農山村整備事業所の打保茂祐さんに案内をしてもらいました。久々野町大西から林道に入り、自動車を止めて5分も歩くと、トンネルにつながる未舗装道路に着きました。その道路横の崖を見ると、断層の露頭が見えました。打保さんによると、この露頭の一部はウレタン樹脂を吹きつけて保存するそうです。行政にも、地域の自然に対する理解が出てきたようです。
 断層は逆断層になっていて、久々野町側(南側)が見座れき層でその上に久々野凝灰角れき岩が乗っていました。高山市側(北側)は、美濃帯の中古生層でした。地層や断層の境目がはっきりわかりました。断層の美濃帯側数mが茶色や黒色になっているのは、水が断層面に染み込んだためです。茶色は鉄の成分、黒色はマンガンの成分ではないかとのことでした。
 下畑会長は空中写真判読で地形図に断層を引いていました。露頭はその地形図の断層のひとつにピタッと一致しました。岩田副会長から、地形図に断層や地質を記入した資料をもとに地質の説明をしてもらいました。また、岩田副会長からは、「・・・・・・砂岩層を・・・・・・捜そう」と、久々のジョークも出ました。
 宮峠断層は、高山盆地と久々野町の大西盆地の間にあります。この断層の水平変位は、右ずれで最大300m、垂直変位は、約200mといわれます。宮峠断層は、第四紀になってから高山市側の江名子断層とともに活動しました。結果、これら2つの断層の間が相対的に隆起し宮峠分水嶺ができました。もともとはつながっていた盆地が、高山盆地と大西盆地に分かれたことが実感できました。
 断層北側、美濃帯の上に見座れき層があれば、南側の見座れき層と比較して、断層の垂直変位がわかります。そこで山の頂上に登って見ましたが、れき層を発見できませんでした。れき層に相当する位置はもっと上のようです。
 このあと、トンネルへの取り付け道路の工事現場に行きました。ここでも崖が削られていて、丹生川火砕流堆積物の崖がありました。振り返ると曇天の下には大西盆地の向こうに乗鞍岳がありました。