ひだ地学第64号 1999年7月3日発行   ホーム 目次

丹生川村森部鉱山・古生代化石

巡検日:1999年6月6日

砂金を捜す会員達 

 6月6日に丹生川村で巡検を行いました。以下に報告します。
@案内者:下畑五夫・三宅幸男
A参加者:岩田 修、木下耕一、黒田耕一郎、小坂光三、下畑五夫、中田裕一、三宅幸男、舩坂忠夫
 初夏の暑さを感じる快晴のもと国府町民会館に集合。最初に行ったのは丹生川村柏原でした。国府町宮地から荒城川をさかのぼります。そこには、岩舟の滝という昔から有名な滝があります。最近雨が少ないこともあり水量は少なかったですが、岩壁が深くえぐれていて深山幽谷にふさわしい滝でした。
 滝をつくる岩石は、国府町の十三墓峠をつくる大雨見山層群(中生代白亜紀末期、約7,000万年前の火砕流堆積物)と同じものです。この岩石は流紋岩質溶岩です。そして溶岩には玉ずいを含む穴があります。しかし、十三墓峠の玉ずい(メノウ)ほどきれいで大きくはありません。下畑先生によると、この岩石の部分だけ特に硬いので滝ができたのではないかということでした。滝の入り口の休憩所には円空仏がありました。盗まれないように、仏様は木の格子の中に鎮座していました。
 次は、荒城川の支流の森部川にそって上流へ向かいました。三宅さんの案内により丹生川村森部で古生代ペルム紀の化石を採集しました。山の斜面に泥質石灰岩があり、どの石を拾ってもほとんど筋模様の入った化石がありました。その化石は、ワンソクやコケムシといって海の中に住むサンゴのような生物です。
 さらに上流には、佐渡屋敷という地名のところがあります。昔、佐渡から鉱山職人を呼んだ名残りの地名です。どこが佐渡屋敷かはっきりわかりませんでした。さらに行くといよいよ丹生川村金山に到着。この付近中心に戦前頃まで金鉱山がありました。
 とりあえず金山の神社で昼食をとりました。今回初めて参加した宮村の黒田さんは、生物に詳しいようです。神社の木にイタチの登った跡があることを教えてもらい、横の川に泳いでいるサンショウウオを見せてもらいました。小坂先生はアリジゴクを発見。下畑先生はまたもや昼寝の時間となりました。
 昼食後、金山の坂上芳房さん(89歳)から、当時の鉱山の様子を伺いました。18歳から40歳頃まで実際に鉱山で働いたそうです。坂上さんから次のような話を聞きました。
 「横穴で300mくらい掘った。戦争前は150人くらい働いていたが、戦争が激しくなるにつれ兵隊に取られて人が少なくなった。終戦の3年くらい前まで掘った。原石は白っぽい石でその中に黒い筋のように鉱脈が入っている。鉱脈は数cmから数10cmの厚みがあった。米粒くらいの金がはさまっているのを見たことがある。原石を砕いて水銀に溶かし、アマルガンというものを作った。水銀をできるだけ、こし取って高山の町の取り扱い業者に売った。水銀だけをふいごで蒸発させ金を出すこともした。昔、砂金取りが砂金を拾いながら、川をさかのぼって鉱床を発見した。江戸時代の鉱山ではたらいていた人の墓を集めた場所が、金山入り口にある。鉱山の最後の支配人は小野寺という東京の人だった。」以上の貴重な話が聞けました。話の後、坂上さんの家に金の原石があったのでそれを見せてもらい、家の前で坂上さんといっしょに記念写真を撮りました。
 なんと岩田先生は、砂金採集用の黒いおわんを用意していました。このおわんは、京都の会社でつくっているそうです。さっそく、みんな一攫千金を夢見ました。鉱山跡近くの谷川で砂金捜しの開始です。おわんに土砂と水を入れて1時間程度ふるい分けをしました。一番熱心なのは岩田先生でしたが、何も見つかりませんでした。そのかわり小坂先生にフタリシズカの群落があることを教えてもらいました。
 ようやくみんなあきらめて、今度は金山の化石捜しをしました。三宅さんに教わり、捜してみるとマツバイシの化石が見つかりました。マツバイシは、直径1mm程度の長い穴がたくさんある化石で、古生代ペルム紀を示します。ちょうど松葉の模様に似ています。これは、フズリナの仲間で石灰質の部分が溶けたものです。三宅さんによると、マツバイシは日本でも東北をはじめ数ヶ所でしか採れない化石で、岐阜県で採れるのはここだけです。 気がついてみるともう夕方5時近くです。天気も曇り空に変わっていました。ようやくみんな重い腰を上げて帰路に着きました。